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ジェット機の音 [ことば]

2020年5月29日 13時すこしまえ。
航空自衛隊ブルーインパルスが都心上空を編隊飛行。
白い煙をはいて、遠ざかっていった。
あっ、またきた。
2度であった。

あのジェット機の音におびえるひとたちがいる。
その音を耳にしただけで、異常をきたすひとがたくさんいる。
わたくしはのんきに上をむいていればよい。
このちがいはなぜか。

武器はつかいたくなる。
それがひとというものであろう。
いざ、つかってみたら想像をはるかに超えた。
で、目が覚めた。
核爆弾はそうして管理するようになった。

通常兵器というごまかし。
兵器に通常も特別もあるものか。
ひとをころすため。
この単純な論理をにごすためにおおくのことばをついやす。

Imagine No Possessions
ジョンレノンもイマジンで歌っている。
じぶんのモノ。
財産。
この意識が資本主義をかえてきたことはまちがいない。
が、それを守るために武器は産まれた。
ほんのすこし。
この意識がうすまるだけでひとの状況、いや地球そのものがいまよりもましになる。




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傷つける [ことば]

おだやかな声の歌をきいていたら、涙がながれた。
くたびれているんだなぁ。

メディアはひとを傷つけていることにきづかない。
傷ついているのは、なにも当事者だけではない。
だまってきいている視聴者もまた、傷ついてゆく。

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
といったのは吉野弘さん。

よせよ、そんなことは。

教育テレビがいつものとおりの放送をしてくれているのが、すくいだね。
だって、それを見ているちびっこ諸君は、傷つかないかもしれないからね。



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思考停止 [ことば]

思考停止という。
考えることをとめてしまう。
考えることをあきらめてしまう。
そもそも考えない。
言葉が旧態依然のままであるからだろう。
考えることは言葉なしには考えられないからである。

民主主義にかわる、よりましな政体はないのだろうか。
民主主義は最善ではない。
独裁をさける、それよりもましであるとおもわれているにすぎない。
金はかかるし、時間もついやす。
無駄がおおい。
あるひとは、いいひとによる独裁が最善ではなかろうか、といった。
できることなのだろうか。

なぜ、2月を30日にしないのか。
ほとんどのひとが、それはへんじゃないか、おかしいじゃないか、とおもっていないあかし、ではなかろうか。

加減乗除よりほかに演算の方法はないのだろうか。
数字はわりきれないことがある。
けれど、まわりをみわたしてほしい。
自然にはあまり、はない。

演算とはひとがつくりだした、ひとつの約束にすぎない。
「0」ゼロも発見されたのである。
演算がもたらしたものは現実の繁栄といえよう。
が、その演算がもたらしたもの。
人口爆発、パンデミック、核、自然破壊、貨幣。
繁栄の影はその裏返し。

風は一見、不規則に見える。
けれど、そこに規則性はないのか。
それがつかめれば天気をしるてがかりとしてのたしかさはそうとうにあがるのではなかろうか。
コンピュータの解析速度が問題なのではなく、そこへ入力する要素である言葉こそがとわれている。
天気予報が不確定なのは、気温、気圧、風速、風力よりほかにあたらしい概念、あたらしい言葉を見出せていないからにほかならない。

ひとはふえた。
これからもふえるだろう。
が、ひとは言葉をふやせていない。



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さきが見えない [ことば]

さきが見えないという。
が、さきが見えたためしは、いままでに、いちどでもあったのだろうか。

ひとは未来なぞ予測できない。
歴史は、その証明にほかならなかったのではないのか。
いままでになかったことは、これからもない。
そのことを忘れている。

天気予報士という。
そういうひとがふえて、天気予報の確かさはあがったのだろうか。
天気予報士という国家試験を管理する省庁の仕事がふえただけで、天気なぞ、ちっとも予報できていないじゃないか。
あしたの予想もままならないのに、長期予想だと。
地震予知とあなじで、できもしないのに、あるのは言葉だけ。
天気も地震も予測は不可能であること、自明ではないか。
税金はこうしてむだにつかわれる。

なでしこジャパンがワールドカップドイツ大会を制した。
わたくしの予想は予選敗退。
なでしこジャパンの諸君には、わびなくてはならない。

予選リーグは注目してはいなかった。
どうせ負けるのだ。
澤穂希選手はこのチームならメダルは取れるはずだ、などとのたまう。
とれるはずないじゃぁねぇか。
シュートどころか、トラップは下手。
大会前のアメリカ遠征では2連敗。
負けっぷりもいっしょ。
アメリカチームの選手諸君がリフティングがへたくそで、ニッポンチームはアメリカチームよりも、リフティングがうまい。
だからテクニックはある。
などと、キャプテンはテクニックについて誤解する。

テクニックというのは、条件、状況がきびしくなったときの基本動作がどうかを問うものである。
雨や雪という外的条件下でボールを精確に扱えるかどうか。
疲労という内的変化にも、対応しているか。
相手が距離を縮めてきたときに、ミスなく扱えるか。
それでもなおゴールを見ているか。

リフティングが何回できるか、ヘディングが何回できるのか。
それは曲芸という。
それをわかっていない。
そんなチームが勝てるはずがない。

(…わたくしはそうおもっていた。)



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一年生になったら [ことば]

 駅前通りにはいつも音楽がながれている。
 童謡である。
 歳時記のように、時季おりおりの歌がながれる。

 そのなかでただ一曲、気にいらない歌がある。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだち百人できるかな。

 おとなは嘘をおしえる。
 いや、嘘をそのままうのみさせる。

 百人のともだち。
 それがそもそも可能なことなのだろうか。
 たとえ百人できたとて、それが素晴しいことなのであろうか。

 わたくしはそうはおもわない。

 ともだちは、百人もできないし、
 ともだちは、百人もいらない。
 そもそも、ともだちは数を問う性質のものではない。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだち百人できるかな。

 ことしもどこかで歌われるのだろう。
 なにもしらぬまま、子供たちはおとなにおしえられ、おしえられるまま子供は歌う。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだち百人できるかな。

 一年生諸君。
 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだちはなかなかできないかもしれないけれど、
 ともだちになってもらうように努力してみてはどうだろう。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだちが悲しんでいたら、
 そうっとそばに寄りそってあげてみたらどうだろう。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 きみとともだちになりたがっている子がいたら、
 その子と握手でもしてみるといい。
 にこっと笑ってみるのもいいかもな。
 ともだちができなくって悩んでいたときのきみ自身のことを、
 おもいだしてみるのもいいだろう。



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しあわせは、めのまえに、ころがっています。 [ことば]

 しあわせになりたい。
 しあわせになってどうするの。
 しあわせになったことないくせに。

 しあわせをさがす、という。
 しあわせはどこかにあるはずだもの。
 うちらの、手の、とどかないところに。

 しあわせをさがすから、ふしあわせになる。

 しあわせはさがすものぢぁないさぁ。
 しあわせは、きづくもの、だね。

 しあわせは、ほら
 めのまえに、ころがっています。



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寛容とは、みとめることである [ことば]

寛容とはゆるすことだとおもわれがちだ。
が、そうではない。
みとめることである。
許容。
しょうがないな、といって肩をたたいてあげることである。

国会議員が風俗店にいっていた。
それがバレた。
おとなたちのとるべき手段は、
その青年に、
ばかなことをしたな、
といって、肩をたたくことではなかったか。
そこでなにも感じない青年ならば、絶交するがいい。

舌禍がもとでぼろくそにさげすまれている議員さんにつたえたい。
いまこそあなたたちの能力をフルに稼働して、この難局にあたってもらいたい。
ただしい判断が最善ではある。
けれど、新型コロナウイルス禍においてははやさがもとめられている。
あなたが信頼できるひとの見識を参考に、すみやかな判断(ただしいか否かはいまはわかりっこない。)こそが先頭にたつものの責務。
政策で勝負。
敗者は復活する。
おとなたちは逡巡するばかり。
しかもあたまがカチコチで動きがおそい。
そこをあなたたちの力で乗り越えてもらいたい。

官僚の、公務員の失敗とは先回書いた。
最近観た映画に公僕のありかたの参考になるものがある。
シンゴジラ庵野秀明監督作品である。
長谷川博己さん演じるところの内閣官房副長官。
官僚、公務員の失敗をよく歴史に学んでいる。
なによりも、しなやかでユーモアがある。
あたらしい官僚、公務員像ではなかろうか、とおもうのだけれど。

ニッポンのヒーローはいつも官制で、アメリカのヒーローはいつも民間人で、とおっしゃった勝間和代さんのことばがあたまからはなれません。



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官僚の失敗、公務員による災厄 [言葉と学問]

ニッポンの惨事はことごとく官僚の失敗が原因である。
公務員による災厄。
人災だということである。

日中戦争、太平洋戦争は軍事官僚の独断であり、広島、長崎への原子爆弾攻撃も、東京大空襲も、真珠湾への奇襲がなければなかったのかもしれない。

官僚の失敗を止めることができるのは、唯一、政治家である。
その政治家が元官僚である場合、どうなるのだろうか。

ニッポンの学校は、国家公務員上級試験合格を最終の目標にすえた体系でしかない。
あたまのいいひとは、国家上級試験をめざし、国家公務員になる。
そのかれらがニッポンをぎゅうじっていく。

それぞれの省庁課長級が政策の発端をになう。
ヨコモジがたくさんつかわれるのは、かれらがつくる政策案にカタカナがつかわれるからにほかならない。

新型コロナウイルス禍。
官僚はまた失敗しつづけるだろう。
かれらはおもう。
失敗するはずがない、と。
優秀なのだから、と。
が、ことあるごとかれらに共通の欠落がみえかくれする。
それは公僕とはなにか、という公務員のイロハのイである。

判断なのだ。
救世主とは神がかりだからもとめてはいけないし、いらない。
反動がおおきすぎる。
それよりも、
ふつうのおっかさんのようなおばさま、
すくなくとも口臭にはきをつかうおっさんのような、
どなることをしない政治家たちが困難にたちむかう、
その姿を応援したい。





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わたくしは想像する [ことば]

昨今、えたいがしれないウイルスの恐怖が日本中、世界中をおおっている。
テレビはどこもかしこも騒騒しい。
つまらない。
だからニュースくらいしか聞かないし、見ない。
いつものことだね。

WEBのほうがおもしろい。
ラジオのほうがまだましだ。
地上波の使命はおわったのだろうか。

で、ふと、わたくしはおもうのだけれど、もし堀江貴文さんが、あのときフジテレビの経営にかかわっていたら、と勝手に想像する。
こんなことにはならなかったのではあるまいか。

堀江さんが放送局を先導するかもしれない。
すこしの変化がはじまるだろう。
すると、ほかの放送局はすこしの変化を追従せざるをえなくなるだろう。

いまよりはまだましになっていたのではなかろうか、と想像する。
いまの陳腐さは、そのすがたをかえていたのではないだろうか、と想像する。
そのチャンスをのがしたのである。
それだけははっきりといえるのではなかろうか、と想像する。



いまさらだけれども、キリンジのエイリアンという歌はいいね。
ナカムラエミさんの東京タワーもいい。



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アナウンサーはスターなのか

 女子アナウンサーがプロスポーツ選手と結婚する。
 それがめでたいことなのだろうか。
 わたくしには、むしろオメデタイことのようにおもえてならない。

 取材する立場と取材される立場。
 その緊張感でなりたっているはずのものである。
 こうした例がふえた。

 取材するほう、取材されるほう、たがいに緊張感をなくし、なれあいの構造になりはててはいまいか。
 女子アナウンサーの所属する放送局に出入り禁止の処分で応えるべきではないか。
 あってはならないことである。

 どうしても一緒になりたいのならば、まず、どちらかがその立場をはずしてから公にすべきことである。
 それすらもいまや順序が逆である。
 なんたる節操のなさ。

 裏方に脚光があびる。
 それはやはり間違いである。
 脚光をあびない。
 それゆえに裏方なのである。
 それをよし、として裏方になるのである。
 それゆえ裏方は玄人になりうるのである。
 勘違いしてはならない。

 アナウンサーはスターなのか。
 どこかの放送局のアナウンサーだけがスター扱いなのか。
 それならばアナウンサーという名称を、いますぐにはずすべきである。
 他のアナウンサーが迷惑する。



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空腹にまさるソース [ことば]

おいしい料理ってなんだろう。
空腹にまさるソースはないっていう。
そこにつきる。

料理ってかんたんでなくっちゃね。
それを星で評価するなんて。
そもそも無茶。
悪い癖。

手のかかる料理はあるし、あってもいいでしょう。
でもミシュランガイドは、手間という概念を勘違いさせているにすぎず、味覚をもてあそんでいるだけなのではないだろうか。
それを売物にしているだけ。
本だから、発行部数が肝腎だもんね。
話題にならなくてはいけないんだ。
芥川賞だって、直木賞だって、本をうるための奇策なのだよ。
一方、店は、ただ、もてあそばれているにすぎないとおもうんだけどなぁ。

よしなよ、そういうの。
ミシュランおことわりって、少数だけどいるんだって。

店は常連さんをふやすだけでいいんじゃないかな。
その努力。
客の責務だってある。
おいしくってだれにもおしえたくないのなら、足と銭をつかって、その大切な店をまもらなくっちゃぁいけない。

そういうほうが素敵だとおもうんだけどなぁ。

料理はきそうものじゃないからね。へへへ



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おもしろい、才能の最上級

みんなまちがっちゃいけないぜ。
田代まさしさんが覚醒剤をもっていて拘束された。
またか、ってふつうはおもう。
でも、それはちがうんじゃないだろうか。

志村けんさんとのかけあいは抜群。
志村けんさんにとって、柄本明さん、由紀さおりさん、桜田淳子さんとのかけあいは、いつみても可笑しい。
つまり、これこそを芸術というのだとおもう。

笑いを軽くあしらってはいけない。
軽くあしらうから、まじめが跋扈(ばっこ)し、やがて窒息する。
わが邦は、すぐそうなるからいけないんだ。
ただ、可笑しいというのと、おわらいは別ものである。

才能は才能で認めよう。
とくに、笑いの才能は、稀少なのだ。
まわりをみわたしてごらん。
涙がでるほどの笑い、可笑しさ、を提供してくれるひとはいますか?

こころが固くなったとき、それをもとにもどしてくれるのは、ほかでもない、笑いをおいてほかにありません。

まじめはそこらじゅうにくさるほどある。
でも、わらい、可笑しさはないと断言してしまうほどの。

それがいまのわが邦のすがたではなかろうか。
にくむべきは一線をこえた人、ではなく、かれらを常習という蟻地獄におとしいれた薬物でなければならない。



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アカデミックの不振 [言葉と学問]

 毎年、数万の経済学士を生み、数百のエコノミストを抱えているにもかかわらず、このていたらくはなぜだ。

 そもそも学ぶ学問がなっていないからだとは気がつかないのだろうか。
 これでは有用ではない。
 むしろ無駄である、と。

 アカデミックの不振は、学問の教科書化に危機感をいだけず、ただそれへの注釈に終始し、活況をおびる努力、つまり検証をおこたってきたからにほかならない。

 時代が閉塞しているのではなく、時代が閉塞しているかどうか検証もしないまま、無責任に時代の閉塞を反射的に口にする。
 そこに執着するあまり、近視眼でしか物事を見られない。
 そのような人のなんと多いことか。
 悪い癖、というには、あまりにお粗末。

 時代は閉塞などしない。
 時代は人が勝手につくった概念である。
 そこに考えが及ばないから、経済活動の主体を人だと勘違いする。
 われわれの営みは地球に拠らざるをえないのに、肝心な地球時間すら見えてこない。

 時代とは目安でしかない。
 人は概念で遊んでいるにすぎぬ。
 遊びは楽しいばかりを意味しない。
 こういう悪い癖、お粗末さをだしてさえ、ときに人は遊ぶのである。

 時代は閉塞した、とする人間が一定量を超えているにすぎぬ。
 ましてメディアでの無反省な吹聴をくりかえし耳にすれば、暗示にかかる人の増えるのはやむをえない。

 メディアにはアナウンスしない勇気もある。

 それがアナウンスする使命とともに同価値なるメディアの存立基盤でもあるのにもかかわらず、昨今の単なるたれながしに危機感はまったくない。

 メディアはメディア自体がその基盤を崩し、その果てに、いつも自己瓦解してきたではないか。

 いつも。
 なにを勘違いするのか。



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ベースボール、そして、野球 アジアシリーズ [言葉とスポーツ]


 Baseball を野球と表したのは正岡子規。

 わが国で行われているのは、たしかに Baseball ではなく、野球である。
 全体を支えるのが球界であり、そこで普及伝播するのが野球道。
 もちろん似非もある。
 それは求道であり、また精神であり、雰囲気である。
 空気ともいう。
 野球はあくまでも野球である。
 この国で野球は野球として完結している。
 それはBaseball とは似ているが異質なものである。
 たたかう相手が Baseball だと、こちらも Baseball で挑めるのだが、野球が負けた場合(めんつ。)のことを考慮してベストメンバーは組めない。
 というよりも責任の明示をしたくないがために、組まない。
 そののち、野球圏内に再突入するや、またもとの野球に戻る。
 これだからいつになっても Baseball には勝てない。
 でも、ひょっとして、野球を底上げ(むしろ底辺の拡大か。)できれば状況はちがったものになる、かもしれない。

 野茂英雄選手は Baseball がしたかった。
 ただそれだけだ。
 他意はない。
 もちろんいまも同じである。
 先駆者の動機というものはいたって単純であるものだ。
 それゆえに強固でもありうる。

 野球は野球なりにおもしろい。
 Baseball は大味でおもしろくなく退屈きわまりないという。
 ひとそれぞれか。
 本場ではすでにワールドシリーズをたたかっていて、その勝者が世界一といっている。
 いまひとつのチャンスはアジアシリーズと名うってみてはどうだろうか。
 アジア圏であれば出場制限枠を設けない。
 そこでするのが Baseball ではなくて野球なら、Baseball と競える可能性が見えてもこよう。

 パシフィックリーグなんていうのはよして、モンスーンリーグ、タイフーンリーグ、レインフォレストリーグなど名称にはことたりる。



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桜木の見解。散る桜、のこる桜も、散る桜。 [ことば]

散る桜、のこる桜も、散る桜

諸君は散るわれら桜木の花をみて、その現象に特別な印象をもってくれているようである。
散るというのはきみたちが勝手につけたまったくおおげさな印象。
散るということは、けじめをつけているわけではなく、いさぎよさでもない。
死をいみしない。
つぎへのいち状況にすぎない。

散る桜というが、われわれ桜木はいきている。
散るとはいきているあかしでしかないのに。
花はかれる。
葉もかれる。
が、それは土をそだてるため。
己をまもるためである。
諸君とて、土よりいで、土に還るではないか。
桜木はやすやすとかれるわけにはいかない。
誤解してもらってはこまる。

化粧っけはないけれど、
寒風にさらされているときのわれら桜木のすがた、その堂々こそをうたっておくれ。
散る桜、のこる桜も、散る桜
良寛さんのおっしゃるところのことは、そのとおりだとはおもう。
断片をうまくとらえてくれてはいる。



タグ: 良寛 散る桜
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花粉症は公害 [花粉症]

東京にきていらい、春になると、きまって風邪のような症状に悩まされた。
微熱、
鼻の粘膜は血にそまり、
目はかゆく、
鼻づまりはいかんともしがたかった。
医者は、風邪くすりで応対する。
が、いっこうにきかない。

それもそのはず。
花粉症だとわかったのは何年まえのことだろう。
アレルギー症状だという。

で、さいきんは花粉症の症状を緩和する商品がいっきにふえた。
それはそれでいいのだが、根本である花粉をどうにかせねばならぬこと、それがすっぽりぬけおちている。

花粉症は公害である。
もとから断たなければならない性質のものである。
この邦の林業政策の失態にほかならない。

対応策としてでているのは、
花粉のすくない杉を植える、とかいうが、微々たるものでしかない。

公害である。
杉じたい伐採しなければならないことは自明である。
にもかかわらず、伐採とその産業効果は語られない。
伐採にともなうあたらしい森の創生すら俎上にあがらない。

花粉症は杉がなくならないかぎりなくならない。
もしくは症状をもつひとがなくなるか。

いいや、ほかに方法がある。
ならば、ぜひ、ぜひ、おしえを乞いたいものである。



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めきき、目利き [言葉とスポーツ]

この邦には、めきき(目利き)がたりないのではあるまいか。
圧倒的に。

ちびっこたちに才能があるか、ないか。
わたくしたちは簡単にいいきってしまいやしないだろうか。
むしろ、問うべきは、判断をくだすがわであるわたくしたちおとなにこそ、ひとを視る能力があるか、ないか、ではなかろうか。

目利きは、見るところがちがう。
なぜならば、どうでもよいところは意に介さないからだ。
たいせつなことはなにか。
競技の核心を、かれらは見抜く。
競技の核心とは。
その競技が、なぜおもしろいのか、ということだ。

めきき(目利き)こそ才能であり、めきき(目利き)こそたいせつに、ただしく評価するべきものなのである。






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カタカナ言葉 スポーツと体育のはざま [言葉とスポーツ]

大学体育がかまびすしい。
それはたぶん大学スポーツではないからではなかろうか。
体育、育成が延々とつづくばかりだからなのではあるまいか。
いっぽうスポーツは遊びと同義語ていど。
ニッポンの教育界にスポーツという言葉の意味は浸透していないのではなかろうか。

わたくしはおもう。
ニッポンではカタカナ言葉の意味をいまだに整理しきれていないのではあるまいか。
ハラスメント。
コンプライアンス。
ユーモア。
ニッポンの苦手は、つまりカタカナ言葉そのものである。
そもそも日本語にない表現だからしかたがないのかもしれない。

戦前からの体育、育成、ということばを無反省に放置したままであるからではなかろうか。
このような騒動はくりかえすだけで、いっこうにあらたまらないであろう。

2015年イングランド、ラグビー第8回ラグビーワールドカップ。
初戦。
ニッポンは南アフリカに勝った。
それをなんどもなんども玩味賞賛するのはいいだろう。
それはわかる。
が、結果的にニッポンチームはそのさきの決勝トーナメントにすすめなかった。
2戦目スコットランド戦の負けっぷりがひどすぎる。
その敗因分析。
そこにこそかまびすしいほどの仮定とその対処、アイディアがでてこなくてはならないはずである。
そこでつまずいたからこそ、そのさきにすすめなかったのである。

ラグビーワールドカップニッポン大会でニッポンチームがうまくいくかどうか。
核心はそこにしかない。

カタカナ言葉ばかりが苦手なのではないのだろう。
敗因をさぐることも、分析することも、大の苦手なのかもしれない。
それはいわばこたえのない分野、である。




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おとこまえ、日村勇紀さん [ことば]

お会いしたこともないのに、そのひとの人物評をのべることはどうなのだろう。
むしろ、そういう方法は採らぬほうがいいのかもしれない。

バナナマンの日村勇紀さんがご結婚するという。

わたくしは日村さんをテレヴィジョンをとおしてしかしらないのだけれど、いつも、どこか、やさしさと、カッコよさが同居しているような、すてきなかただとおもえてならない。

みかけはみたとおり。
商売だからおちゃらける。
けれど、そのおちゃらけのあいまにみせる日村さんの素とでもいおうか。
とくに女性にたいしては二枚目。
かれのようなひとこそをおとこまえというのではなかろうか。
そのかれをブ男よばわり。
評価するほうにこそブ男フィルターがかかっているのではなかろうか。



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ポールマッカートニー [ビートルズ]

わたくしは耳がいいのかもしれない。
海外放送を聴いて、たとえば北京放送をまねてみたり、ソヴィエト時代のモスクワ放送をまねたりFENやVOAの局名告知を声色をまねて、なんど口にしただろう。
中学生のころは同級生にけっこううけたものである。
ちょうどタモリさんが4カ国マージャンというのをやりだしたじきと同時期か、いや、むしろ、中学校で披露していたわたくしのほうが早いかもしれない。

なぜビートルズがすきになったのだろう。
歌詞の意味もわからないのに。
で、いま、ビートルズを聴いていると、ポールマッカートニーのベースを追っている。
旋律ではない。
ビートルズがすきなのは、ポールマッカートニーのベースラインが印象的だからなのではないかしら、とおもうようになっている。
軽快でしかも記憶にのこる。
こまやかで、だからビートルズは大成できたのだろう。
もちろんジョンレノン、ジョージハリスン、リンゴスターの存在とて欠くことはできない。

落ちつきがなく、なんでも興味をもつポールマッカートニー。
そのかれのあくなき好奇心。
クラシックあがりのジョージマーティンの知見。
たまたまなのだろうだけれど、そのたまたまが画期的でしかも前例のない化学変化をもたらした。

音楽について言葉で解析は可能なのか、どうかはしらない。
聴けばそれでたりる。
それが音楽。

ビートルズのいわば音楽監督。
ポールマッカートニーのベース。
印象的でしかもおぼえやすい。
耳にのこる。
ベースラインをそらんじられる曲がおおいのは、圧倒的にビートルズ。
ビートルズ解散後のウィングスにいたっても、やっぱりポールマッカートニーのベースは秀逸で追随をゆるさない。
わたくしはそうおもっています。


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ビートルズ [ビートルズ]

おもいおこせば、主催は創価学会であったのだろう。
夕方の屋外。公民館うらの公園であった。
無料で映画がみられるという。
中学生であった。
わたくしはいった。
メインの映画はなんであったか。
男はつらいよシリーズのどれかか、いずれにせよ喜劇映画ではなかったか。
わすれてしまった。
ただ、主催者の広報映画の後半、それもわずか数秒である。
ビートルズがでた。
それは(サ-ジェントペッパーズロンリーハーツクラブバンド)写真をながしただけのものであった。
その背景でながれる曲が新鮮であった。
わたくしはおどろき、これはなんていう歌なのか、しりたい。
たまたまいあわせた学年がひとつうえの阿部さんがおしえてくれた。

グループの名はビートルズ。
曲名はヘルプ。

わたくしはとりこになった。

翌日であったか、数日後であったか、阿部さんはわたくしにビートルズのヘルプのシングルレコードを譲ってくれた。ただ、それは割れていた。
B面にはアイムダウン(I'm down)。
ビートルズとの出会いであった。



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自分支える足の声、聞いて [いきる]

たちしごとをしていたせいで両足の指のつけねあたりに違和感をかんじるようになった。
持病の影響からか、それともべつの症状か、ネットでしらべていた。
足。
つけね。
違和感。
しびれ。
等、これらのことばで検索した。
すると、ある記事が眼にとまる。
自分支える足の声、聞いて。
高史明さんの声であった。

おなくなりになった高さんのご子息。
そのかれがのこした詩。
その詩集を読む読者から手紙がとどく。
あるひ、中学生が高さんのお宅をたずねた。
見るからに落ち込んでいたという。
高さんはいう。

「死にたいって、君のどこが言ってるんだい。ここかい?」と頭を指さすと、こくりとうなずきます。私はとっさに言葉をついでいました。
 でも、君が死ねば頭だけじゃなく、その手も足もぜんぶ死ぬ。まず手をひらいて相談しなきゃ。君はふだんは見えない足の裏で支えられて立っている。足の裏をよく洗って相談してみなさい。」

わたくしはその夜、風呂で違和感のある足裏をみた。
わたくしがたっていられるのは意志とか精神ではなく、ただ足裏によってのみたっていられるのではあるまいか。
そのとおりじゃないか。
そうおもうと、足裏にもうしわけなく、ありがとうという。
ものいわぬ足裏をみて、ただ、すまなかった、とわびていた。


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大相撲がつまらない [言葉とスポーツ]

以下のものは2004年に書いたものだ。
組織はあれからまったくかわっていない。
いや、そもそも変れないのではあるまいか。
それがニッポン。
よくもわるくもわれらが祖国。

  大相撲がつまらない -----------------------------------------------------

 曙が相撲をやめた。

 小錦といい、それはけっして偶然ではない。

 相撲が発展するには、いまよりもっと国際的に開放せざるをえない。
 にもかかわらず。
 母国語に英語をもつ小錦や曙に逃げられた協会側に、その不自由さに気づく人は果たしているのだろうか。
 いるにせよ少数の傍流でしかないのだろう。
 口にするのもはばかられる。
 辞めたいのなら勝手に辞めろ。
 そんなところだろう。

 かわいがる、という欺名のもとに堂々と行われているいじめ。
 その陰湿さは他の国にはみられない日本独特のものである。

 年寄株。
 なぜあのような不確実が高価で売買されるのだろう。
 それすらも疑わない。
 それがいままで行われてきたという事実のみにあぐらをかいているにすぎない。
 そこにあるものは既得権の死守でしかなく、老弊である。

 20歳代で引退。
 なんたる老け込み具合であるか。
 そんな年寄じみた溌剌のない社会が魅力をもつとは到底考えられない。
 すたれることはもはや自明の理となった。

 30、40歳で現役。
 そういう力士をつくらなくてはならないのに。

 場所数、地方巡業が多すぎて力士への過大な負担になっているのである。
 関取ではない。
 力士がへとへとなのである。

 高見盛関が人気である。
 これすらも年配、子供に人気があるにすぎない。
 かれらと同輩の諸君は、妙な気合のいれかたをする相撲取り程度にしかかれをみていない。

 北の湖さんは賢明なかたである。
 危機感もひしひしと感じていらっしゃるであろう。

 協会に拘束しなくても、曙、小錦の協力はえられよう。
 柔軟に、斬新に、変っていかなくて、未来の大相撲はない。

 それにしても大相撲経験者のみで構成される協会というのも妙である。
 ふんどし組ばかりで、背広組がいない。
 興行であるいじょうこの方式で差し支えなかったのだろう。
 いままでは。
 だが、このままだと相撲協会は協会自体で変ることは永遠にできない。
 別の大相撲団体がつくられるまでは。

 閉ざされた社会とはそういう問題を胚胎しているのである。
 いつも。
 つねに。(1.21.04)


相撲協会は法人をやめ、株式会社化するべきではなかろうか。

あわせて、
 大相撲はいつから国技になったの?
 http://www003.upp.so-net.ne.jp/fujun/fujun_sports.archives/fujun_sports.2.16.03.html


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挑戦するひと、挑戦しないひと [ことば]

ひとは、挑戦するひとか挑戦しないひとか、でわかれるのではなかろうか。
そうおもう。
もちろん挑戦しないひとが圧倒的におおい。
このよは挑戦しないひとでなりたっているといっても過言ではあるまい。
挑戦するひとはかならず失敗するだろう。
挑戦しないひとはもちろん失敗などしない。
けれど、失敗があたらしいものをつくっている事実。
これは無視してはならない。

小池百合子女史が挑戦しようとしている。
それはたぶんいままでのおとこたちがなしてきたことのふがいなさからくるものではなかろうか。
かのじょはほほえみながら、
だからおとこはだめなのだ、とはきすてたいきもちを我慢しているようにおもえてしかたがない。

頂点を国政にもってくるから、都知事に専念せよというのだろうか。
都政こそを頂点に、国政をその下位にもってきてもよいのではあるまいか。
なぜか。
それはそうおもうかおもわないか、でしかないからだ。
都政を優先します、というか、国政を優先します、というか。
それだけのちがいである。
それほどに荷はおもい。
それをよしとしてやる。
だまってみまもればいい。
それに、女史はまずは、だめなおとこのしりぬぐいからはじめざるをえないのだから。


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この邦はブスとブ男がそのほとんどである [ことば]

わたくしはブ男である。
言葉はわるい。が、この邦はブスとブ男でなりたっている。
地域性はあるだろう。が、まちがいない。
この邦はブスとブ男がそのほとんどである。
ニッポンの一般的な感性はそのかれら(われらというべきか)がつくっている。
そねみ、ねたみ、などの一般的な感情はかれら(われらというべきか)なしではつくれない。

髪のうすいひとをハゲという。
よその邦ではハゲはブ男の範疇(はんちゅう)にははいらない。
肥満とて状態にもよろうがそれでブ男とはならない。
ニッポンではそのいずれもがブ男の範疇である。
においがしそうものなら、ブスはブ男に、さいてい、の烙印をおす。
においは個性といわれるものであるにもかかわらず。

かわいい、とか、美女、というのもニッポンとほかの邦とでは標準がちがうようである。
ビューティとはかわいいでも美女でもない。
が、ニッポンではかわいいといえば、こう、美女といえば、こう、と、一般的な標準はきまっている。
かわいい、も、美女、もニッポンの概念ゆえ、なのだろう。
で、それをつくりだしているのが、ブ男であり、ブスなのである。



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さんま不漁 [ことば]

さんまがとれないという。
いままでどれだけのさんまをとってきたことか。
中国や台湾の乱獲にうつてなしという。
ひるがえってわが邦はいったいどれほどの乱獲をしてきたのだろうか。
ちっともかえりみない。
さんざ乱獲をしておいて、わがものがおで中国や台湾を揶揄する。
さんまをよろこんでたべるのはニッポンだけではない。
さんまのおいしさにみんながきづいたのである。
かれらはわが邦がたどってきたみちをおなじようにたどってきているにすぎない。
あしき見本はわが邦がつくったのである。
無責任で放縦。
わが邦の漁業である。

さんまがとれないのならがまんすればいいじゃないか。
さんまが高級魚になり、雑魚(ざこ)とよべなくなる。
それだけのこと。
そもそも雑魚などというさかなはない。
そのことにきづくだけでもましではないか。
さんまにたいしての無礼をわびる絶好の機会である。



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全部のレベルで指導者がかわること [ことば]

ダルビッシュ有選手が、日本球界への警鐘(サンケイスポーツ球界ここだけの話)で。
メジャーリーグと肩をならべるためには、
「(アマチュア・プロの)全部のレベルで指導者が変ること。」
徹底さの見識はまるで西郷隆盛。
卓見である。

少年野球サッカーをみていると、てつづきやかたちにこだわってばかり。
ちびっこたちはプレイをちっともたのしんでいないじゃないか、といきどおるばかりである。
それはまさしく、そこにいる少数のおとなたちのせいであるからだ。

で、戦後、もし教育の現場で戦前学校で教鞭をとっていたひとたちが、いっせいにあたらしいひとたちにとってかわっていたら、と想像する。
司法はいうにおよばず、立法、行政、地方と、すべての公務員(高等文官試験合格者はもれなく)を戦後、刷新していたら、ニッポンはどうなっていただろうか、と想像する。

混乱はとうぜんあるだろう。
が、いまよりもすこしはましではなかったか、と想像する。



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職業に貴賎なし [ことば]

高等学校のとき同級生に治部袋君がいた。
一年生のころである。

倫理社会の授業であった。
格言についての作文があった。

治部袋君はそこで、職業に貴賎なし、を論じた。
どういう内容であったかはわすれてしまった。
ただ、すぐれた随筆であったことはたしかであった。
わたくしがなにについて述べたか不明である。
にもかかわらず治部袋(じんば)君の印象ははっきりとおぼえている。
さわやかな文章であった。
としをへて、職業に貴賎をもちたくないし、もたれたくない、ということであったとおもう。

治部袋君にもういちど読んでもらいたいナ。



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閉塞 [ことば]

   閉塞

 いきぐるしいのは、いきぐるしいことばのつかいかた。
 なによりも、そのいいかたに、いきぐるしい。

 いきぐるしいのは、
 いきぐるしいいいかたをするからさ。
 そこにだぁれもきづかない。

 いきぐるしさは、
 そこからしかうまれない。

 不況だ、なんて、
 かってに不況にしておいて。
 みんなで、不況だ、不況だ、っていってるんだもの。
 そりゃぁ、不況にもなるだろう。

 ことばづかいをまちがっている。
 そのいいかたをまちがっている。
 そこにだぁれもきづかないから、やっかいなだけ。



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ビジネスモデル [クルマ]

外国の知人はいう。
ニッポンは、時間をより精緻にし、それで通勤時間(ラッシュアワー)をくみたて、ひとの移動を綿密にし、一斉に仕事場へかけこませる。
つぎには工程という精細なものを周到に用意して、ちいさな、けれどこわれにくいクルマを大量につくることに専念してきたようだ。
わたくしにはにがわらいするしかなかった。
みごとなたとえである。
よきにつけあしきにつけ、それが現実ではなかろうか。

ビジネスモデルという。
ひびの通勤をみていると、そのエネルギーのすさまじさにひるんでしまう。
このパワーをもしほかにつかえていたらどんなにかすごいものができあがっていたのではなかろうか。

いまさらのことでしかない。
たとえば技術学校の機械製図をみておもった。
学習の対象にクルマの部品がおおいことである。
高等学校でも自動車科がある。
このくにの方針は加工貿易などというもっともらしいものではなく、クルマ、ただクルマだけなのではあるまいか。
メーカーはつくることだけに専心していればよく、クルマにまつわること、たとえば人身事故、駐車場、道路など個々人への弊害は、くにがすべてになう。
そういう約束がまかりとおっているようにしかみえない。
いまさらのことでしかないのだけれど。



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