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寛容とは、みとめることである [ことば]

寛容とはゆるすことだとおもわれがちだ。
が、そうではない。
みとめることである。
許容。
しょうがないな、
といって肩をたたいてあげることである。

国会議員が風俗店にいっていた。
それがバレた。
おとなたちのとるべき手段は、
その青年に、
ばかなことをしたな、
といって、肩をたたくことではなかったか。
そこでなにも感じない青年ならば、絶交するがいい。

舌禍がもとでぼろくそにさげすまれている議員さんにつたえたい。
いまこそあなたたちの能力をフルに稼働して、この難局にあたってもらいたい。
ただしい判断が最善ではある。
けれど、新型コロナウイルス禍においてははやさがもとめられている。
あなたが信頼できるひとの見識を参考に、
すみやかな判断(ただしいか否かはいまはわかりっこない。)こそが先頭にたつものの責務。
政策で勝負。
敗者は復活する。
おとなたちは逡巡するばかり。
しかもあたまがカチコチで動きがおそい。
そこをあなたたちの力で乗り越えてもらいたい。

官僚の、公務員の失敗とは先回書いた。
最近観た映画に公僕のありかたの参考になるものがある。
シンゴジラ庵野秀明監督作品である。
長谷川博己さん演じるところの内閣官房副長官。
官僚、公務員の失敗をよく歴史に学んでいる。
なによりも、しなやかでユーモアがある。
あたらしい官僚、公務員像ではなかろうか、とおもうのだけれど。

ニッポンのヒーローはいつも官制で、
アメリカのヒーローはいつも民間人で、
とおっしゃった勝間和代さんのことばがあたまからはなれません。





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