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古典、かならずしもためにならず [ことば]

たとえば有名な書物がある。
昭和に書かれたものである。

まず、
核心からはいる。
著者のいいたいことはこれである。
で、
著者はなぜそうおもうにいたったか。
いくつかの例をあげる。

さてここで、
いちように、
ときはおおむかしにさかのぼる。
古事記だとか、
日本書紀。
古典の講釈がはじまる。

わたくしは不思議でならない。
なぜ、
いまをかたるのに、
隔世の書物を解析するのだろう。
なぜそれら古典をあてにするのだろう。

日本人とはなにか。
それをさぐるのに、
空想半分のおはなしについて、
なぜそうも熱心にかたることができるのだろう。

理由はひとつっきりしかない。
だれもみたことがないし、
きいたこともない。
かってな解釈ができるから、
なのだろうけれども、
その文献の箇所にふれるたび、
わたくしの関心は急降下。
萎えてゆく。
うすれてゆく。
本をとじてしまう。





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