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らーめん、といえばヌプカ食堂 [わがまち士幌]

こどものころ、
家では出前をとるという習慣がなかった。
たまたま、
うちの婆さまが、
なにかの拍子で、
らーめんを出前してもらうことになった。

町では食堂は2、3軒しかなく、
家からいちばんちかい、
その名も「ヌプカ食堂」に電話した。

注文はらーめんを5杯か6杯ではなかったか。
うすいきみどりの澄んだスープ、
チャーシュー、
それとネギ、
のの字なると。
しなちく。
生姜がかすかにのこる、
あの端正な味は、
醤油らーめんというよりも塩らーめんのそれではなかったか。
40年もまえのことである。
わすれられない。





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士幌線 十勝三股(とかちみつまた) [わがまち士幌]

十勝三股(とかちみつまた)と帯広をむすんだ。
士幌線 十勝三股(とかちみつまた)

三股にはいったことがない。
車でとおったこともない、
はずである。
いつでもいけた。
けれど用事がなかった。
いっておくべきであった。
用事などなくてもいい。
廃線になるまえに。
糠平からバス運行になるまえにいっておくべきであった。
無念。

士幌線の動画をみたことがある。
それは糠平界隈でしかなかった。
帯広から十勝三股までの車両まえの固定カメラでの記録をとっておけばよかった。
つくづくおもうのはわたくしだけではあるまい。





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士幌線 幌加(ほろか) [わがまち士幌]

十勝三股(とかちみつまた)と帯広をむすんだ。
士幌線 幌加(ほろか)

汽車(ディーゼル)ではいったことはないかもしれぬ。
婆さまがそのむかしご近所のお婆さんといっしょに幌加温泉で湯治。
その送迎についていった。
ゆえ幌加駅のまえをすどおりしただけか。
残念。

三国峠などできてはいなかったから、糠平湖の湖岸道路をのぼっていった。
道はじゃり道、
うねりにうねった。

さびれてたなぁ。
それでも宿にはほかに数人いた記憶がある。
それと、
婆さんたちがたのしそうに笑っている記憶。
それしかない。

後記
いまでこそタウシュベツ川橋梁が上士幌町の名所旧跡になってはいるが、
当時はだれも関心がなかった。
六角精児の呑み鉄本線・日本旅「夏・石北本線を呑む!」で、
タクシーをつかって士幌線の鉄道遺産「タウシュベツ川橋梁」をたずねていたのにはおどろいた。
そういうかたがすくなからずいると聞き、
またおどろいた。





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士幌線 糠平(ぬかびら) [わがまち士幌]

十勝三股(とかちみつまた)と帯広をむすんだ。
士幌線 糠平(ぬかびら)

糠平ダムがある。
スキー場も雪質がいい。
ただ寒い。
児童のころ仲間とスキーをしにいった。
スキーをかついで歩いた記憶がある。
ということは往きは士幌線で、
帰りは十勝バスではなかったか。

糠平温泉スキー場はてっぺんにいくと、
滑走コースがまるで糠平湖につっこんでいくようにみえた。
存分にスキーを堪能しおえると、
仲間とつるんでむかいの湯元館で湯につかった。
それがわざわいしたのであろうか、
帰宅後、
わたしは猛烈に発熱し、
ねこんでしまった。
つぎの日、学校へはいけなかった。

糠平は両親の新婚旅行の場であった、
とのち聞いた。
爺さまの妹がながく住んでいた場所でもある。
糠平から然別(しかりべつ)にぬける道があり、
糠平側からいくといきなり峠になる。
その山のいただきあたりが、
糠平温泉スキー場のリフトの最高地点であった。

後記
コウケンテツの日本100年ゴハン紀行でコウケンテツさんが糠平温泉をたずねた。
糠平温泉旅館中村屋の若女将(おかみ)の奮闘。
手をかけて出される地元の食材。
なにげなくふるまう若女将。
そのなにげなさに、
強いこだわりと強い意志、
そして使命感を感ぜずにはいられなかったのはわたくしだけではあるまい。
おさないころ泊まった、
つくえ館なぞは姿を消していた。
さびれてはいるけれど、
どこか瀟洒(しょうしゃ)な街並みにかわっていた。
ぜひ、
行こう。





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もーれつア太郎 [わがまち士幌]

テレビを地上波なんていうのはここ数年である。
むしろUHFをU局とよんでいた。
U局をみるにはコンバーターが必要であった。
もちろんアンテナもかけなければならなかった。
十勝エリアはNHK総合は4チャンネル、
HBCは6チャンネル、
STVは10チャンネル、
12チャンネルはNHK教育であった。
HTB、UHBがU局であった。

父親がU局に魅力を感じないので装着は無理。
みられない。
それはしょうがない。
もーれつア太郎で、
ニャロメ、
ケムンパスが登場するにあたって、
状況はいっぺんする。

年賀状に、
ことしもよろしくでやんす、
とか、
らいねんも、
なかよくしてくれニャロメ、
ことしもよろしくたのむぞニャロメ。
連打であった。

それがみられないのがつらかった。
余談ではあるが、
わたしが太っていたころ、
パンツいっちょうでいると、
ココロのボスのようだといわれ、
心外であった。





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よつ葉のテトラパック3.4牛乳 [わがまち士幌]

小学校の給食には四角の食パンがでた。
いわゆるミミの部位の味がうえ、
左右は香ばしいのだけれど、
底部はへんな味に感じ、
苦手であった。
そこだけ残した。
残すことは歓迎されないので、
かくしたりして、
しのいでいた。

牛乳はいつごろからか紙でできたテトラパックで配膳された。
よつ葉のテトラパック3.4牛乳である。

あるとき、
おかずにスパゲッティサラダだとおもう、
食器にかおをちかづけて、
むしゃむしゃたべている瀬戸君のあたまをしたに押した。
すると、
瀬戸君はかおをあげ、
なにするんだよ~、
と怒る。
が、
マヨネーズだらけの瀬戸君のかおがまるでトーテムポールのかおのようにみえて、
わたくしはふきだしてしまった。

瀬戸君には水銀をみせてもらった。
銀色で、たしかに水のようであった。
朝礼ではまえから2番目の瀬戸君。
ちょっとした小細工が得意であった。





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ニッスイの赤というよりもピンクっぽいウインナーソーセージ [わがまち士幌]

児童であったころ、
弁当といえば、
おにぎり、
たまごやき、
京番茶の湯さまし、
それとウインナーソーセージを塩こしょうで炒めたものであった。
それぞれにななめのきりこみが3、4本あった。

行事は年に数回しかない。
だからか、
あきたことがない。

おにぎりはかつおぶしの醤油づけが2こ、
うめぼし2こ。
たまごやきはあまくこんがり焼きいろがついていた。
京番茶の湯さましはいまでも、
たまにのむ。
ニッスイのウインナーソーセージ。
白い包装で8本入り。
包装の窓のふちは金色ではなかったか。
ウインナーソーセージは赤というよりもピンクっぽかった。
真空パックのようであったとおもう。

いまでもかまびすしいが、
製造をよしたのは問題があったからなのか。
そもソーセージは添加物がおおいときくが。
わけはしらない。
突然なくなったので、
残念であった。
ひとくちで味はよみがえるだろう。
ひとは味、
香りを記憶する。
それも鮮明に。





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ばあちゃんとぬかストーブ [わがまち士幌]

ばあちゃんは、むかし家のうらを鬼があるいていたといった。
おさないわたくしはうたがいもしなかった。
鬼はいる。
そうおもっていた。
だから、そもそもがうすぐらい、うらのほうがどこかあやしげでこわかった。

厠(かわや)は家に近接し、そとにあった。
新聞紙か蕎麦色のチリ紙が右まえにおかれていた。
風呂もべつむねで戸と戸は7,8mはあっただろうか。
風呂に脱衣所などはない。
母屋で脱いで駆けていく。
冬はまるで津軽海峡であった。

暖は、材木を製材するさいにでる木くずをもやす、ぬかストーブであった。
いっぱいのぬかがすこしずつおちてくる設計であった。
木だからあたたかい。が、
ぬかがなくなると、容器ごと交換しなければならない。
容器は直径50㎝くらいであったか、かたちは円筒型であった。
それを窓をあけてかえるのである。
一瞬にして暖は寒にかわる。

玉置浩二さんの歌メロディー。
あのころは、なにもなくて
それだって楽しくやったよ
わたくしはそのところを耳にするたび、なみだがうかんでしまう。
めんどうくさかったことはおぼえていない。
寒かったことなど記憶にない。
なつかしさしか、おぼえていない。





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じいちゃんのぬかストーブ [わがまち士幌]

ぬかストーブの燃料は木のぬかだ。
じいちゃんが大工で、つとめる会社に製材所がある。
そこででる木くず。
それをもらうか買うかしていたのだろう。
買ったにせよずいぶんと安い買物ではなかったか。
環境にも、おさいふにも、ずいぶんとエコであったにちがいない。
ただ、ぬかの容器を交換するときは窓をあけなくてはいけないから、いっきに冷えた。

そのころ石炭ストーブはみかけなかった。
中学校が石炭ストーブであったはずである。
まずは、薪(まき)ストーブではなかったか。

しばらくして家を新築したときは、燃料はいっきに灯油にかわった。
一般的な石油ストーブではなく、ヒーターのはしりのようなすこしハイカラなストーブであった。
母親がきにいったようであった。
母親にはモダンをこのむところがあった。

そのころになると、じいちゃんは認知症で、すったもんだ。
あるとき、じいちゃん、さむかったのかストーブをつけようとおもったらしく、ヒーターのスイッチに燐寸(マッチ)で火をつけてしまった。
そのなごりでスイッチは溶けたままの形状であった。
じいちゃんはモダンには慣れなかった。






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スーダラ節おどる [わがまち士幌]

国道をはさんでサカエ式農機具製作所はあった。
わたくしのいえはもろ木造のつけたしの2階建てであった。
そのいえはひらやではあるが、
コンクリートの黄色い壁、
赤いトタン屋根。
いまからおもえば、
ずいぶんと瀟洒ないえであった。

はぶりはよかったのではなかろうか。
フジカシングル8(エイト)で撮ってもらった映像をみたことがある。
演者というか、
映像にはわたくしと農機具製作所のひとつうえのぼんとであった。

おさないわたくしは、
そこでスーダラ節をおどってみせた。
ゆでとうもろこしをくわえ、
むしゃむしゃとたべる。
とちゅう、農機具製作所のぼんに、
そのとうもろこしをうばわれる。
そんな内容であった。

ゲラゲラわらってみたにちがいない。
が、のち、わたくしの母親は、
とうもろこしをぼんにうばわれたシーンをみて悲しい気持ちになったと述懐した。
たくましさとあかるさしかないわが子をみて不憫におもったのであろう。

じっさいはわたくしが農機具製作所のぼんのとうもろこしをうばって食べていたのである。






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糞尿譚 [わがまち士幌]

わたくしの地方では、
むぐす、
糞をむぐす、
糞をもらすことをそういった。

ちびっこたちが(とくに男子)こぞって糞尿に関するはなしでもりあがるのは、
みなおなじような失敗談を経験するからではなかろうか、
とおもう。
糞尿に関するはなしがすきなのではなくて、
つよく関心がある、
というべきかもしれない。

わたくしは保育所にかよっていたわけである。
保育所は街のはずれ。
わが家も街のはずれ。
けっこう歩くことになる、

播州屋は3軒となりにある。
その店のまえまでは辛抱できていた。
でもだめであった。
わたくしは撃沈し、
のそのそとあるきかたをかえていえにたどりつく。
母親におこれれる。

あるときまたむぐす。
そのパンツを厠(かわや)のてまえの物置、棚のしたにかくした。
おおやけになるのははやかった。
母親にしかられた。

またあるときなどは、
2階にいて我慢がならなかった。
帯広側の窓こしにびろびろと糞をたれた。
下痢であったのだ。

枚挙にいとまなし、というほどではない。
小便がしたくなって、
がまんしきれず、母親にかけてしまったことがある。
母親からかみなりがおちた。
階段でむぐしやこともあったっけ。

まぁ、これくらいのものである。
おおいかすくないかはわからないなぁ。へへへ





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