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ロックに乾杯 [ことば]

もし北朝鮮でロックが聞けるようになれば韓国と接近するだろう。
中国だってもうあともどりできない。
ロックをしってしまったからね。

ドイツの統合だって、
ありゃ、
ロックのおかげだぜ。
お互いのアンチフィーリングを共有することによってしだいに同じ価値観をもつようになった。
はじめておなじ言葉をもったのさ。
おなじドイツ語でもフィルターをとおしたドイツ語だったからね。
それで全体のイメージがうまれた。
きっと。

キュビズムもフォービズムも世界をかえられなかった。
絵や文学、
クラシック音楽じゃないんだな。

なんのこたぁない。
ロックさ。
みんなから、
いちばん安直で、
くそったれ、
にみられがちなロックが後押ししたのさ。

ロックに乾杯だぜ。
まったく。





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数学、算数が苦手なわけは [ことば]

数学、
算数はおもしろい学問だとおもっている。
なぜ苦手な人が、
これほど多いのだろう。
教える人に、
つまらない者がなるからではなかろうか。

算術を無味乾燥にしている元凶は、
それを教えるひとがそもそも楽しんでいないからである。

児童、
生徒が学ぶものは、
すくなくとも答えのある学問だ。
答えをみちびきだすことは、
いわばパズルと同質ではあるまいか。
楽しいはずのものである。
それが楽しくない。
むしろ苦痛だといわしめる。

多くの教諭がすでに算術の楽しさを忘れてしまっているからである。
学問はつまり楽しさを語り継ぐことでしかない。

理科系、
文化系というくくりもまた、
まちがってはいまいか。
理科と数学は数字をあつかうからと同じように語られる。
が、
似ているということは、
あきらかにちがう、
ということのはず。

学問とは、
答えのあるもの、
と、
答えが見いだせていないもの、
とでくくるべきである。





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特急おおとり(函館発釧路行) [ことば]

札幌の石狩会館は叔父が結婚式をあげたところであった。
そのころはまだ児童であったとは以前、
サンデパートare go で述べた。
そのかえり、
爺さんと兄貴と3人で特急おおとりにのった。
帯広までである。
叔父がつごうしてくれた。
特急にのるのはそれがはじめてであった。
うすみどりしたよこながのキップを目にしただけで興奮したのを覚えている。

車内ではなんとダブルブッキング。
雪で到着おくれ。
と、さんざんであった。

2人がけシートを回転させるのが印象的であった。

帯広到着後、
連絡の士幌線にはまにあわないのであるが、
爺さんが駅員にくいさがっていたのをかすかにおぼえている。

特急おおとりはのち石北線(函館網走間)をはしったが、
とうじはおおぞらとおおとりの名で根室本線(函館釧路間)を疾駆する。
花形特急であった。
急行は十勝、狩勝といった。
カレーのはなしをしようとかんがえていたけれど、
またこのつぎ。





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真剣勝負とは [ことば]

わが代表チームはフランス代表を本気にさせた。
イングランド代表は真剣であった、
とよく聞く。

だれが決めたのか。
なにをして、
本気か、
本気でないかをしるのだろう。
どこをとって真剣とするのだろうか。

いいかげんにやめようじゃないか。
いっけん、
わかっているように見えるけれど、
本当はわけのわからない、
こういう妙ないいまわしは。
害がある。

真剣勝負とはどんなときのことをいうのか。
自分にあてはめてみればいい。

現況をなんとか打ち破りたい。
そのために真剣勝負。
ちがう日常をむかえたい。
だから真剣勝負しなくっちゃ。

いいや、
ちがう。
虎に襲われたとき、
どうするだろうか。
暴漢におそわれたとき、
どうするだろうか。
著者とてもどうしょうもない。
一撃必殺でこられたらたまったものじゃない。

このとき虎や暴漢は真剣勝負を挑んできているのである。
善悪ではない。
真剣とは本気のことをいうのでもない
まさしく真剣とは本物の刀で勝負することをいう。
厳しい言葉であって、
軽はずみでつかえるほどやすい言葉ではない。





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SMAP 解散 Sports Music Assemble People [ことば]

うたはへた。
おどりもそろわず。

木村拓哉さんが突出していたのかな。
ついで稲垣吾郎さん。
でもわたくしは中居正広さん、香取慎吾さん、草彅剛さんをかっていた。

ヴォイストレーニングの効果はあったのか。
なかったのだろうか。
いまもってうたはへた。
おどりだって中居正広さんが速すぎで、いまいちあわない。

もしいまどこか海外のオーディションにでたとして、
この5人組、
失格はまぬがれないのではなかろうか。
それほどにつたない。

いったいなにがかれらをニッポンを代表するというスターにしたのだろう。
ただ、コメディアンとしてならば、並以上だとはおもうけれど。





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魯迅、灯火漫筆におもう [ことば]

魯迅に灯火漫筆という文章がある。
魯迅はそこで当時の状況をふまえ中国の歴史についてのべる。

「中国人は昔から、人間の価値をかち取ったことがない。たかだか奴隷にすぎなかった。そして今もって同様である。」と書いた。
「いや、奴隷以下であった時代も、珍しくなかった。」という。

きれいごとの好きな学者たちが、どんなに飾り立てて、歴史を書くときに、「漢族発祥の時代」「漢族発達の時代」「漢族中興の時代」などと、立派な題を設けようと、好意はまことに有難いが、措辞(そじ)があまりにもまわりくどい。もっと、そのものズバリの言い方が、ここにある―
 一、奴隷になりたくてもなれない時代
 ニ、当分安全に奴隷になりおおせている時代
と魯迅は書いた。

ひるがえってわが邦はどうだろう。

明治以降、太平洋戦争がおわってもなお、

 一、奴隷なのに、それにきづいていない時代

が延々とつづいているのではなかろうか。





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よけいなことかもしれないが [ことば]

これからの官庁がなすべきことは、
予算をつかいきることではない。
予算をいかにあまらせるか。
次年度へどれだけくりこせるか。
予算のよりおおくをあまらせた部署ならびにその長(おさ)こそを、
有能として評価する。
このかたちにかえるべきではなかろうか。

これからの大学における学究。
たとえば経済学。
教科書化をうたがいもしない学問と化した。
経済は日々、
いきているにもかかわらず!
経済学の解釈学になりはてた。
それもU.S.A.仕込みである。
この学問をいきた学問たるべく蘇生再興するにはどうするか。

たとえば北千住にはふるい家屋がならぶ。
震災がきて、
火災がおこれば、
まちがいなく延焼し、
じんだいな被害をだすことはまちがいない。
その地域を震災につよい町にはできなくとも、
震災からの損害をよりすくなく、
くいとどまらせるのか。
この可能性。
その指針。

私有財産がからむであろうし、
さまざまな問題をはらむ。
経済学をもし経世済民の学問であるとするならば、
それをさぐらぬ手はなかろう。
法律の知識も建築の知識もひつようになろう。
その学際をになう。
苦言の提出。
学問が堂々とできる課題である。
これこそが経済学ではあるまいか。





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哲学の役割 [ことば]

戦争を回避する。
そのために哲学は機能しなかった。
ひとが死のうとしている。
そのとき、哲学があれば、ひとは死なずにすむかもしれない。

哲学が有用かどうか、それはもんだいではない。
そも学問は有用なのかどうか。
津波がおしよせる。
それをもくぜんとしながら、学問は有用なのだろうか。
わたくしにはわからない。
逃げること。
生きのびること。
そこにこそ、哲学はあっていいのではないだろうか。
指針となるべきものをもっていてもいいのではないだろうか。
「津波といってもみんなさわいでないし、たいしたことはないだろう。」
同調性バイアスを結果的にみちびきだせたとしても、
次、おなじような状況になればおなじような行動をする。
それがひとである。
そうではなく。
ひとをたすけられるのはひとをおいていない。
だとすれば、まずたすかるひとがたすかること。
それをなによりも最善とする。

ひとをたすけようとしておなくなりになったひとはおおい。
もしあのときたすけにいかなかったら、のちの人生を後悔したであろう、というひとはおおい。
なぜか。
哲学が不毛であるから、ではなかろうか。
いのちはかけがえがない。
と反応するしか手段をもっていないから、にほかならないのではなかろうか。

もし、うごけないひとをたすけようとするときに。
たすけられるひとの命が巻添えをくわない方法こそをだいいちに想定するべきである。
ひとをたすけるにはたすけるひとがいきなければならない。
この決心をうながすためにこそ哲学は欠くことのできないものになるのではなかろうか。
あなたが死ねばたすけられる命はない。
いのちをたすけるのはいのち。
いのちがあってこそべつのいのちをたすけられる。
まずはたすかるいのちをたすけること。
それが最優先。
ひとをたすけることは次善かどうかではなく、なによりも優先はあなたがたすかること。
いきる。
核心はここにある。
哲学の息吹きがあるのではなかろうか。





タグ:哲学
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きにしすぎ、それは高い能力 [ことば]

ひとはいう。
きにしすぎであると。
きにしすぎのどこがわるいのだろう。
きになる。
きにする。
なやむ。
なやみつづける。

ちいさなことでくよくよするという。
けれど、それはちいさいことではないはずだ。
生きていくための、たいせつな、根幹にふれる、ことがらだろう。
けっしてちいさくなんかあるものか。

それはもちあじである。
きにしすぎかどうか。
だれが判断をくだせようか。
判断はつかないものだ。
きになれば徹底的にきにすればよいだけではなかろうか。
それがもちあじなのだから。

もちあじがただしいものかどうか。
それはわからない。
が、もちあじをつかいこなせば、それはもはや才能である。
高い能力である。
わたくしはそう信じる。
自戒である。



タグ:もちあじ
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ビジネスモデル [ことば]

外国の知人はいう。
ニッポンは、時間をより精緻にし、それで通勤時間(ラッシュアワー)をくみたて、ひとの移動を綿密にし、一斉に仕事場へかけこませる。
つぎには工程という精細なものを周到に用意して、ちいさな、けれどこわれにくいクルマを大量につくることに専念してきたようだ。
わたくしにはにがわらいするしかなかった。
みごとなたとえである。
よきにつけあしきにつけ、それが現実ではなかろうか。

ビジネスモデルという。
ひびの通勤をみていると、そのエネルギーのすさまじさにひるんでしまう。
このパワーをもしほかにつかえていたらどんなにかすごいものができあがっていたのではなかろうか。

いまさらのことでしかない。
たとえば技術学校の機械製図をみておもった。
学習の対象にクルマの部品がおおいことである。
高等学校でも自動車科がある。
このくにの方針は加工貿易などというもっともらしいものではなく、クルマ、ただクルマだけなのではあるまいか。
メーカーはつくることだけに専心していればよく、クルマにまつわること、たとえば人身事故、駐車場、道路など個々人への弊害は、くにがすべてになう。
そういう約束がまかりとおっているようにしかみえない。
いまさらのことでしかないのだけれど。



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閉塞 [ことば]

   閉塞

 いきぐるしいのは、いきぐるしいことばのつかいかた。
 なによりも、そのいいかたに、いきぐるしい。

 いきぐるしいのは、
 いきぐるしいいいかたをするからさ。
 そこにだぁれもきづかない。

 いきぐるしさは、
 そこからしかうまれない。

 不況だ、なんて、
 かってに不況にしておいて。
 みんなで、不況だ、不況だ、っていってるんだもの。
 そりゃぁ、不況にもなるだろう。

 ことばづかいをまちがっている。
 そのいいかたをまちがっている。
 そこにだぁれもきづかないから、やっかいなだけ。



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職業に貴賎なし [ことば]

高等学校のとき同級生に治部袋君がいた。
一年生のころである。

倫理社会の授業であった。
格言についての作文があった。

治部袋君はそこで、職業に貴賎なし、を論じた。
どういう内容であったかはわすれてしまった。
ただ、すぐれた随筆であったことはたしかであった。
わたくしがなにについて述べたか不明である。
にもかかわらず治部袋(じんば)君の印象ははっきりとおぼえている。
さわやかな文章であった。
としをへて、職業に貴賎をもちたくないし、もたれたくない、ということであったとおもう。

職業に貴賤などない。
ただ、貴賤の感情をもちたがる、ひと、ひとひとがほとんどだということか。

治部袋君にもういちど読んでもらいたいナ。





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さんま不漁 [ことば]

さんまがとれないという。
いままでどれだけのさんまをとってきたことか。
中国や台湾の乱獲にうつてなしという。
ひるがえってわが邦はいったいどれほどの乱獲をしてきたのだろうか。
ちっともかえりみない。
さんざ乱獲をしておいて、わがものがおで中国や台湾を揶揄する。
さんまをよろこんでたべるのはニッポンだけではない。
さんまのおいしさにみんながきづいたのである。
かれらはわが邦がたどってきたみちをおなじようにたどってきているにすぎない。
あしき見本はわが邦がつくったのである。
無責任で放縦。
わが邦の漁業である。

さんまがとれないのならがまんすればいいじゃないか。
さんまが高級魚になり、雑魚(ざこ)とよべなくなる。
それだけのこと。
そもそも雑魚などというさかなはない。
そのことにきづくだけでもましではないか。
さんまにたいしての無礼をわびる絶好の機会である。



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この邦はブスとブ男がそのほとんどである [ことば]

わたくしはブ男である。
言葉はわるい。が、この邦はブスとブ男でなりたっている。
地域性はあるだろう。が、まちがいない。
この邦はブスとブ男がそのほとんどである。
ニッポンの一般的な感性はそのかれら(われらというべきか)がつくっている。
そねみ、ねたみ、などの一般的な感情はかれら(われらというべきか)なしではつくれない。

髪のうすいひとをハゲという。
よその邦ではハゲはブ男の範疇(はんちゅう)にははいらない。
肥満とて状態にもよろうがそれでブ男とはならない。
ニッポンではそのいずれもがブ男の範疇である。
においがしそうものなら、ブスはブ男に、さいてい、の烙印をおす。
においは個性といわれるものであるにもかかわらず。

かわいい、とか、美女、というのもニッポンとほかの邦とでは標準がちがうようである。
ビューティとはかわいいでも美女でもない。
が、ニッポンではかわいいといえば、こう、美女といえば、こう、と、一般的な標準はきまっている。
かわいい、も、美女、もニッポンの概念ゆえ、なのだろう。
で、それをつくりだしているのが、ブ男であり、ブスなのである。



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挑戦するひと、挑戦しないひと [ことば]

ひとは、
挑戦するひとか挑戦しないひとか、
でわかれるのではなかろうか。
そうおもう。

もちろん挑戦しないひとが圧倒的におおい。
このよは挑戦しないひとでなりたっているといっても過言ではあるまい。
挑戦するひとはかならず失敗するだろう。
挑戦しないひとはもちろん失敗などしない。
けれど、失敗があたらしいものをつくっている事実。
これは無視してはならない。

小池百合子女史が挑戦しようとしている。
それはたぶんいままでのおとこたちがなしてきたことのふがいなさからくるものではなかろうか。
かのじょはほほえみながら、
だからおとこはだめなのだ、とはきすてたいきもちを我慢しているようにおもえてしかたがない。

頂点を国政にもってくるから、都知事に専念せよというのだろうか。
都政こそを頂点に、国政をその下位にもってきてもよいのではあるまいか。
なぜか。
それはそうおもうかおもわないか、でしかないからだ。
都政を優先します、というか、国政を優先します、というか。
それだけのちがいである。
それほどに荷はおもい。
それをよしとしてやる。
だまってみまもればいい。
それに、女史はまずは、だめなおとこのしりぬぐいからはじめざるをえないのだから。


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自分支える足の声、聞いて [ことば]

たちしごとをしていたせいで両足の指のつけねあたりに違和感をかんじるようになった。
持病の影響からか、それともべつの症状か、ネットでしらべていた。
足。
つけね。
違和感。
しびれ。
等、これらのことばで検索した。
すると、ある記事が眼にとまる。
自分支える足の声、聞いて。
高史明さんの声であった。

おなくなりになった高さんのご子息。
そのかれがのこした詩。
その詩集を読む読者から手紙がとどく。
あるひ、中学生が高さんのお宅をたずねた。
見るからに落ち込んでいたという。
高さんはいう。

「死にたいって、君のどこが言ってるんだい。ここかい?」と頭を指さすと、こくりとうなずきます。私はとっさに言葉をついでいました。
 でも、君が死ねば頭だけじゃなく、その手も足もぜんぶ死ぬ。まず手をひらいて相談しなきゃ。君はふだんは見えない足の裏で支えられて立っている。足の裏をよく洗って相談してみなさい。」

わたくしはその夜、風呂で違和感のある足裏をみた。
わたくしがたっていられるのは意志とか精神ではなく、ただ足裏によってのみたっていられるのではあるまいか。
そのとおりじゃないか。
そうおもうと、足裏にもうしわけなく、ありがとうという。
ものいわぬ足裏をみて、ただ、すまなかった、とわびていた。


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おとこまえ、日村勇紀さん [ことば]

お会いしたこともないのに、
そのひとの人物評をのべることはどうなのだろう。
むしろ、
そういう方法は採らぬほうがいいのかもしれない。

バナナマンの日村勇紀さんがご結婚するという。

わたくしは日村さんをテレヴィジョンをとおしてしかしらないのだけれど、
いつも、
どこか、
やさしさと、
カッコよさが同居しているような、
すてきなかただとおもえてならない。

みかけはみたとおり。
商売だからおちゃらける。
けれど、
そのおちゃらけのあいまにみせる日村さんの素とでもいおうか。
とくに女性にたいしては二枚目。
かれのようなひとこそをおとこまえというのではなかろうか。
そのかれをブ男よばわり。
評価するほうにこそブ男フィルターがかかっているのではなかろうか。





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カタカナ言葉 スポーツと体育のはざま [ことば]

大学体育がかまびすしい。
それはたぶん大学スポーツではないからではなかろうか。
体育、育成が延々とつづくばかりだからなのではあるまいか。
いっぽうスポーツは遊びと同義語ていど。
ニッポンの教育界にスポーツという言葉の意味は浸透していないのではなかろうか。

わたくしはおもう。
ニッポンではカタカナ言葉の意味をいまだに整理しきれていないのではあるまいか。
ハラスメント。
コンプライアンス。
ユーモア。
チーム。
ニッポンの苦手は、つまりカタカナ言葉そのものである。
そもそも日本語にない表現だからしかたがないのかもしれない。

戦前からの体育、育成、ということばを無反省に放置したままであるからではなかろうか。
このような騒動はくりかえすだけで、いっこうにあらたまらないであろう。

2015年イングランド、ラグビー第8回ラグビーワールドカップ。
初戦。
ニッポンは南アフリカに勝った。
それをなんどもなんども玩味賞賛するのはいいだろう。
それはわかる。
が、結果的にニッポンチームはそのさきの決勝トーナメントにすすめなかった。
2戦目スコットランド戦の負けっぷりがひどすぎる。
その敗因分析。
そこにこそかまびすしいほどの仮定とその対処、アイディアがでてこなくてはならないはずである。
そこでつまずいたからこそ、そのさきにすすめなかったのである。

ラグビーワールドカップニッポン大会でニッポンチームがうまくいくかどうか。
核心はそこにしかない。

カタカナ言葉ばかりが苦手なのではないのだろう。
敗因をさぐることも、分析することも、大の苦手なのかもしれない。
それはいわばこたえのない分野、である。




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めきき、目利き [ことば]

この邦には、めきき(目利き)がたりないのではあるまいか。
圧倒的に。

ちびっこたちに才能があるか、ないか。
わたくしたちは簡単にいいきってしまいやしないだろうか。
むしろ、問うべきは、判断をくだすがわであるわたくしたちおとなにこそ、
ひとを視る能力があるか、
ないか、
ではなかろうか。

目利きは、見るところがちがう。
なぜならば、どうでもよいところは意に介さないからだ。
たいせつなことはなにか。
競技の核心を、かれらは見抜く。
競技の核心とは。
その競技が、なぜおもしろいのか、ということだ。

めきき(目利き)こそ才能であり、
めきき(目利き)こそたいせつに、
ただしく評価するべきものなのである。
が、そのただしく評価する方法、評価、についての議論はおこらない。
これからもおこりえないのだろう。
にがにがしく、じたんだをふむ。





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花粉症は公害 [ことば]

東京にきていらい、春になると、きまって風邪のような症状に悩まされた。
微熱、
鼻の粘膜は血にそまり、
目はかゆく、
鼻づまりはいかんともしがたかった。
医者は、風邪くすりで応対する。
が、いっこうにきかない。

それもそのはず。
花粉症だとわかったのは何年まえのことだろう。
アレルギー症状だという。

で、さいきんは花粉症の症状を緩和する商品がいっきにふえた。
それはそれでいいのだが、根本である花粉をどうにかせねばならぬこと、それがすっぽりぬけおちている。

花粉症は公害である。
もとから断たなければならない性質のものである。
この邦の林業政策の失態にほかならない。

対応策としてでているのは、
花粉のすくない杉を植える、とかいうが、微々たるものでしかない。

公害である。
杉じたい伐採しなければならないことは自明である。
にもかかわらず、伐採とその産業効果は語られない。
伐採にともなうあたらしい森の創生すら俎上にあがらない。

花粉症は杉がなくならないかぎりなくならない。
もしくは症状をもつひとがなくなるか。

いいや、ほかに方法がある。
ならば、ぜひ、ぜひ、おしえを乞いたいものである。





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散る桜、のこる桜も、散る桜。 [ことば]

散る桜、のこる桜も、散る桜

諸君は散るわれら桜木の花をみて、
その現象に特別な印象をもってくれているようである。
散るというのはきみたちが勝手につけたまったくおおげさな印象。

散るということは、
けじめをつけているわけではなく、
いさぎよさでもない。
死をいみしない。
つぎへのいち状況にすぎない。

散る桜というが、
われわれ桜木はいきている。
散るとはいきているあかしでしかないのに。

花はかれる。
葉もかれる。
が、それは土をそだてるため。
己をまもるためである。
諸君とて、土よりいで、土に還るではないか。
桜木はやすやすとかれるわけにはいかない。
誤解してもらってはこまる。

化粧っけはないけれど、
寒風にさらされているときのわれら桜木のすがた、
その堂々こそをうたっておくれ。

散る桜、のこる桜も、散る桜

良寛さんのおっしゃるところのことは、そのとおりだとはおもう。
断片をうまくとらえてくれてはいる。





タグ: 散る桜 良寛
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アカデミックの不振 [ことば]

 毎年、数万の経済学士を生み、数百のエコノミストを抱えているにもかかわらず、このていたらくはなぜだ。

 そもそも学ぶ学問がなっていないからだとは気がつかないのだろうか。
 これでは有用ではない。
 むしろ無駄である、と。

 アカデミックの不振は、学問の教科書化に危機感をいだけず、ただそれへの注釈に終始し、活況をおびる努力、つまり検証をおこたってきたからにほかならない。

 時代が閉塞しているのではなく、時代が閉塞しているかどうか検証もしないまま、無責任に時代の閉塞を反射的に口にする。
 そこに執着するあまり、近視眼でしか物事を見られない。
 そのような人のなんと多いことか。
 悪い癖、というには、あまりにお粗末。

 時代は閉塞などしない。
 時代は人が勝手につくった概念である。
 そこに考えが及ばないから、経済活動の主体を人だと勘違いする。
 われわれの営みは地球に拠らざるをえないのに、肝心な地球時間すら見えてこない。

 時代とは目安でしかない。
 人は概念で遊んでいるにすぎぬ。
 遊びは楽しいばかりを意味しない。
 こういう悪い癖、お粗末さをだしてさえ、ときに人は遊ぶのである。

 時代は閉塞した、とする人間が一定量を超えているにすぎぬ。
 ましてメディアでの無反省な吹聴をくりかえし耳にすれば、暗示にかかる人の増えるのはやむをえない。

 メディアにはアナウンスしない勇気もある。

 それがアナウンスする使命とともに同価値なるメディアの存立基盤でもあるのにもかかわらず、昨今の単なるたれながしに危機感はまったくない。

 メディアはメディア自体がその基盤を崩し、その果てに、いつも自己瓦解してきたではないか。

 いつも。
 なにを勘違いするのか。





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おもしろい、才能の最上級 [ことば]

みんなまちがっちゃいけないぜ。
田代まさしさんが覚醒剤をもっていて拘束された。
またか、ってふつうはおもう。
でも、それはちがうんじゃないだろうか。

志村けんさんとのかけあいは抜群。
志村けんさんにとって、柄本明さん、由紀さおりさん、桜田淳子さんとのかけあいは、いつみても可笑しい。
つまり、これこそを芸術というのだとおもう。

笑いを軽くあしらってはいけない。
軽くあしらうから、まじめが跋扈(ばっこ)し、やがて窒息する。
わが邦は、すぐそうなるからいけないんだ。
ただ、可笑しいというのと、おわらいは別ものである。

才能は才能で認めよう。
とくに、笑いの才能は、稀少なのだ。
まわりをみわたしてごらん。
涙がでるほどの笑い、可笑しさ、を提供してくれるひとはいますか?

こころが固くなったとき、それをもとにもどしてくれるのは、ほかでもない、笑いをおいてほかにありません。

まじめはそこらじゅうにくさるほどある。
でも、わらい、可笑しさはないと断言してしまうほどの。

それがいまのわが邦のすがたではなかろうか。
にくむべきは一線をこえたひと、ではなく、かれらを常習という蟻地獄におとしいれた薬物でなければならない。
アルコールは薬物。
ニコチンは薬物。
それをしらない、もしくはそのことをわすれているひとがおおすぎる。





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空腹にまさるソースなし [ことば]

おいしい料理ってなんだろう。
空腹にまさるソースはないっていう。
そこにつきる。

料理ってかんたんでなくっちゃね。
それを星で評価するなんて。
そもそも無茶。
悪い癖。

手のかかる料理はあるし、あってもいいでしょう。
でもミシュランガイドは、
手間という概念を勘違いさせているにすぎず、
味覚をもてあそんでいるだけなのではないだろうか。
それを売物にしているだけ。
本だから、発行部数が肝腎だもんね。
話題にならなくてはいけないんだ。
芥川賞だって、直木賞だって、本をうるための奇策なのだよ。
一方、店は、ただ、もてあそばれているにすぎないとおもうんだけどなぁ。

よしなよ、そういうの。
ミシュランおことわりって、少数だけどいるんだって。

店は常連さんをふやすだけでいいんじゃないかな。
その努力。
客の責務だってある。
おいしくってだれにもおしえたくないのなら、
足と銭をつかって、
その大切な店をまもらなくっちゃぁいけない。

そういうほうが素敵だとおもうんだけどなぁ。

料理はきそうものじゃないからね。へへへ





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アナウンサーはスターなのか [ことば]

 女子アナウンサーがプロスポーツ選手と結婚する。
 それがめでたいことなのだろうか。
 わたくしには、むしろオメデタイことのようにおもえてならない。

 取材する立場と取材される立場。
 その緊張感でなりたっているはずのものである。
 こうした例がふえた。

 取材するほう、取材されるほう、たがいに緊張感をなくし、なれあいの構造になりはててはいまいか。
 女子アナウンサーの所属する放送局に出入り禁止の処分で応えるべきではないか。
 あってはならないことである。

 どうしても一緒になりたいのならば、まず、どちらかがその立場をはずしてから公にすべきことである。
 それすらもいまや順序が逆である。
 なんたる節操のなさ。

 裏方に脚光があびる。
 それはやはり間違いである。
 脚光をあびない。
 それゆえに裏方なのである。
 それをよし、として裏方になるのである。
 それゆえ裏方は玄人になりうるのである。
 勘違いしてはならない。

 アナウンサーはスターなのか。
 どこかの放送局のアナウンサーだけがスター扱いなのか。
 それならばアナウンサーという名称を、いますぐにはずすべきである。
 他のアナウンサーが迷惑する。





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わたくしは想像する [ことば]

昨今、
えたいがしれないウイルスの恐怖が日本中、
世界中をおおっている。
テレビはどこもかしこも騒騒しい。
つまらない。
だからニュースくらいしか聞かないし、
見ない。
いつものことだね。

WEBのほうがおもしろい。
ラジオのほうがまだましだ。
地上波の使命はおわったのだろうか。

で、ふと、わたくしはおもうのだけれど、
もし堀江貴文さんが、
あのときフジテレビの経営にかかわっていたら、
と勝手に想像する。
こんなことにはならなかったのではあるまいか。

堀江さんが放送局を先導するかもしれない。
すこしの変化がはじまるだろう。
すると、ほかの放送局はすこしの変化を追従せざるをえなくなるだろう。

いまよりはまだましになっていたのではなかろうか、と想像する。
いまの陳腐さは、そのすがたをかえていたのではないだろうか、と想像する。
そのチャンスをのがしたのである。
それだけははっきりといえるのではなかろうか、と想像する。



いまさらだけれども、キリンジのエイリアンという歌はいいね。
ナカムラエミさんの東京タワーもいい。





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官僚の失敗、公務員による災厄 [ことば]

ニッポンの惨事はことごとく官僚の失敗が原因である。
公務員による災厄。
人災だということである。

日中戦争、太平洋戦争は軍事官僚の独断であり、広島、長崎への原子爆弾攻撃も、東京大空襲も、真珠湾への奇襲がなければなかったのかもしれない。

官僚の失敗を止めることができるのは、唯一、政治家である。
その政治家が元官僚である場合、どうなるのだろうか。

ニッポンの学校は、国家公務員上級試験合格を最終の目標にすえた体系でしかない。
あたまのいいひとは、国家上級試験をめざし、国家公務員になる。
そのかれらがニッポンをぎゅうじっていく。

それぞれの省庁課長級が政策の発端をになう。
ヨコモジがたくさんつかわれるのは、かれらがつくる政策案にカタカナがつかわれるからにほかならない。

新型コロナウイルス禍。
官僚はまた失敗しつづけるだろう。
かれらはおもう。
失敗するはずがない、と。
優秀なのだから、と。
が、ことあるごとかれらに共通の欠落がみえかくれする。
それは公僕とはなにか、という公務員のイロハのイである。

判断なのだ。
救世主とは神がかりだからもとめてはいけないし、いらない。
反動がおおきすぎる。
それよりも、
ふつうのおっかさんのようなおばさま、
すくなくとも口臭にはきをつかうおっさんのような、
どなることをしない政治家たちが困難にたちむかう、
その姿を応援したい。





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寛容とは、みとめることである [ことば]

寛容とはゆるすことだとおもわれがちだ。
が、そうではない。
みとめることである。
許容。
しょうがないな、
といって肩をたたいてあげることである。

国会議員が風俗店にいっていた。
それがバレた。
おとなたちのとるべき手段は、
その青年に、
ばかなことをしたな、
といって、肩をたたくことではなかったか。
そこでなにも感じない青年ならば、絶交するがいい。

舌禍がもとでぼろくそにさげすまれている議員さんにつたえたい。
いまこそあなたたちの能力をフルに稼働して、この難局にあたってもらいたい。
ただしい判断が最善ではある。
けれど、新型コロナウイルス禍においてははやさがもとめられている。
あなたが信頼できるひとの見識を参考に、
すみやかな判断(ただしいか否かはいまはわかりっこない。)こそが先頭にたつものの責務。
政策で勝負。
敗者は復活する。
おとなたちは逡巡するばかり。
しかもあたまがカチコチで動きがおそい。
そこをあなたたちの力で乗り越えてもらいたい。

官僚の、公務員の失敗とは先回書いた。
最近観た映画に公僕のありかたの参考になるものがある。
シンゴジラ庵野秀明監督作品である。
長谷川博己さん演じるところの内閣官房副長官。
官僚、公務員の失敗をよく歴史に学んでいる。
なによりも、しなやかでユーモアがある。
あたらしい官僚、公務員像ではなかろうか、とおもうのだけれど。

ニッポンのヒーローはいつも官制で、
アメリカのヒーローはいつも民間人で、
とおっしゃった勝間和代さんのことばがあたまからはなれません。





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しあわせは、めのまえに、ころがっています。 [ことば]

 しあわせになりたい。
 しあわせになってどうするの。
 しあわせになったことないくせに。

 しあわせをさがす、という。
 しあわせはどこかにあるはずだもの。
 うちらの、手の、とどかないところに。

 しあわせをさがすから、ふしあわせになる。

 しあわせはさがすものぢぁないさぁ。
 しあわせは、きづくもの、だね。

 しあわせは、ほら
 めのまえに、ころがっています。



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一年生になったら [ことば]

 駅前通りにはいつも音楽がながれている。
 童謡である。
 歳時記のように、時季おりおりの歌がながれる。

 そのなかでただ一曲、気にいらない歌がある。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだち百人できるかな。

 おとなは嘘をおしえる。
 いや、嘘をそのままうのみさせる。

 百人のともだち。
 それがそもそも可能なことなのだろうか。
 たとえ百人できたとて、それが素晴しいことなのであろうか。

 わたくしはそうはおもわない。

 ともだちは、百人もできないし、
 ともだちは、百人もいらない。
 そもそも、ともだちは数を問う性質のものではない。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだち百人できるかな。

 ことしもどこかで歌われるのだろう。
 なにもしらぬまま、子供たちはおとなにおしえられ、おしえられるまま子供は歌う。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだち百人できるかな。

 一年生諸君。
 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだちはなかなかできないかもしれないけれど、
 ともだちになってもらうように努力してみてはどうだろう。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだちが悲しんでいたら、
 そうっとそばに寄りそってあげてみたらどうだろう。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 きみとともだちになりたがっている子がいたら、
 その子と握手でもしてみるといい。
 にこっと笑ってみるのもいいかもな。
 ともだちができなくって悩んでいたときのきみ自身のことを、
 おもいだしてみるのもいいだろう。



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