ひとはたべものをすてる。
へいきですてる。
けれど、おかねはすてない。

どうぶつはおかねにはめもくれない。
が、たべものはすてない。

ひととどうぶつのちがいは、
じつはこんなところにある。

紙をたべものだと認識するどうぶつは、
紙幣ならたべようとするのかもしれない。
が、
インクの味に違和感をいだき、
噛んですぐ、
ペッとはきすてるかもしれない。

そんなこと、しっていらぁ。
そう、あなたもわたくしも、
そんなことは百も承知。

ただ、
たべものはできるのに時間がかかる。
けれど、
おかねは鋳造できるし、
紙幣は輪転機で、す~いすい。

わたくしはおもう。
貨幣制度をたべもの本位制にする。
と、
江戸時代の石高という発想はけっしてふるくさいものなのではなく、
理にかなう。
運用方法を根本からやりなおせば、
まっとうな制度たりえるのではなかろうか。