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翻訳国家ニッポン [ことば]

哲学とはなんだろうか。

ニッポンでは哲学は不毛といわれる。
東洋哲学も西洋哲学も原本の解釈に終始。
明治以来、なのではあるまいか。
翻訳ゆえに、誤訳という珍現象がおこる。
誤訳は誤訳のままいまにある。
これはいたしかたがない。
手本があるいじょう、手本をこえることはできない。
最近では翻訳するてますらはぶいて原語のまま、それをカタカナ表記する始末。

が、かんがえかたとしての哲学ならば、どうとらえるか、で、
こたえはちがうのではなかろうか。

わたくしはニッポン人は批判力がたりないとおもっている。
批判とはなにで、どのようにするのか、
その手順が曖昧なまま、いまにいたっている。

批判とはまずどうあるべきか。
どうすればそのようになるか、をかんがえ提示することにほかならない。
すきかきらいか、いやかいやでないか、は駄々とひとつ。
こうすればこうなる。
こうしたほうがましである。
それが批判ではなかろうか。

訓練がないからであろう。
語彙の不足をカタカナ言葉で埋める。
そのおおさがそれをものがたってはいまいか。

哲学とは言葉で考える。
言葉できたえる。
その訓練をいう。

なぜか。
なぜだ。
これでいいのか。
を、くりかえし、くりかえす。
そのくりかえしが哲学。
それだけのことではなかろうか。






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