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ばあちゃんとぬかストーブ [わがまち士幌]

ばあちゃんは、むかし家のうらを鬼があるいていたといった。
おさないわたくしはうたがいもしなかった。
鬼はいる。
そうおもっていた。
だから、そもそもがうすぐらい、うらのほうがどこかあやしげでこわかった。

厠(かわや)は家に近接し、そとにあった。
新聞紙か蕎麦色のチリ紙が右まえにおかれていた。
風呂もべつむねで戸と戸は7,8mはあっただろうか。
風呂に脱衣所などはない。
母屋で脱いで駆けていく。
冬はまるで津軽海峡であった。

暖は、材木を製材するさいにでる木くずをもやす、ぬかストーブであった。
いっぱいのぬかがすこしずつおちてくる設計であった。
木だからあたたかい。が、
ぬかがなくなると、容器ごと交換しなければならない。
容器は直径50㎝くらいであったか、かたちは円筒型であった。
それを窓をあけてかえるのである。
一瞬にして暖は寒にかわる。

玉置浩二さんの歌メロディー。
あのころは、なにもなくて
それだって楽しくやったよ
わたくしはそのところを耳にするたび、なみだがうかんでしまう。
めんどうくさかったことはおぼえていない。
寒かったことなど記憶にない。
なつかしさしか、おぼえていない。





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宇宙開発といえばきこえはいい [ことば]

宇宙開発といえばきこえはいい。
未開地をたがやしていく。
ただ、未開地とはだれがきめるのか。
火星はだれのものなのだろうか。

火星探査車 (Perseverance) が火星で活動をはじめたという。
だれかが火星にすんでいるのならば、火星探査機はUFOとよばれたはずである。
侵略者とよばれてもいたしかたないのではなかろうか。
ひとがアフリカ大陸へ、アメリカ大陸へでていった。
それとおなじではなかろうか。

小惑星探査機はやぶさとて、あの数粒の石ころで、いったいなにがわかるというのだろうか。
費用をかけてきたいじょう、検証のための論文は延々たるものになっていて、無味で乾燥の印象はぬぐえない。
区分しただけ。
で、なにがわかったのだろう。

地球は惑星である。
石ころだらけである。
月だって未開のままである。
そこからはじめるべきであるとおもうのだが。
ただ地球とてひとのものではないし、月とて人類の所有ではない。

糸川英夫さんの名を冠する小惑星イトカワにいってかえってくる。
ここにも所有の意識がちらほら。
命名権をゆずってもらった時点で、構想(一芝居)ははじまった。
アフリカ大陸、アメリカ大陸へでていく欧州列国を横目で見、アジア大陸へでていった過去のわが国とおなじにみえてしまう。

澤岡昭(大同大学名誉学長)さんが、はやぶさ2の帰還にさいし、さめた目を忘れずに、と題する小論で、
「大げさに快挙を強調する各社の報道姿勢は、時と場合によっては国民を間違った方向に導く危うさがある。(中略)楽観的な雰囲気に水を差す批判的なまなざしの分析が見当たらないことに一抹の不安を感じている。」(メディア時評 毎日新聞 2019/5/2)





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じいちゃんのぬかストーブ [わがまち士幌]

ぬかストーブの燃料は木のぬかだ。
じいちゃんが大工で、つとめる会社に製材所がある。
そこででる木くず。
それをもらうか買うかしていたのだろう。
買ったにせよずいぶんと安い買物ではなかったか。
環境にも、おさいふにも、ずいぶんとエコであったにちがいない。
ただ、ぬかの容器を交換するときは窓をあけなくてはいけないから、いっきに冷えた。

そのころ石炭ストーブはみかけなかった。
中学校が石炭ストーブであったはずである。
まずは、薪(まき)ストーブではなかったか。

しばらくして家を新築したときは、燃料はいっきに灯油にかわった。
一般的な石油ストーブではなく、ヒーターのはしりのようなすこしハイカラなストーブであった。
母親がきにいったようであった。
母親にはモダンをこのむところがあった。

そのころになると、じいちゃんは認知症で、すったもんだ。
あるとき、じいちゃん、さむかったのかストーブをつけようとおもったらしく、ヒーターのスイッチに燐寸(マッチ)で火をつけてしまった。
そのなごりでスイッチは溶けたままの形状であった。
じいちゃんはモダンには慣れなかった。






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おもしろいひと [掌編]

おもしろいひとがいた。
ひとの才能をみきわめる。
ほんの数例をあげてみる。

「あいつは、畑作をついだわけだけど、ほんとうは学校の、それも大学の数理科なんぞで教鞭(きょうべん)をもつと成功したのにな。農業高校にいっちまったからなぁ。」(享年65歳農業後継者)

「札幌でサラリーマンか。もったいないな。おもしろいやつだった。落語でもやると、はまったのにな。名人になる道だってあったのに。おしいよ、ほんと。」(享年59歳会社員)

「あいつはさ、サッカーよりも相撲のほうが出世したはずさ。強靭な足腰、そしてばね。短距離はずばぬけていたな。ああいうのは、そっぷかたのいい関取になれたのにな。もったいないことをした。」(享年53歳元サッカークラブ監督)

「地方官吏にあまんじたのがな。さみしいよ。町会議員から、国会議員、ていうのはむつかしかったにせよ、道議くらいはなれたんだろうけどな。家具屋のせがれで妹しかいなかったからな。」(享年62歳自営)

「あいつ、おいらすきだったんだ、ほんとうは。ま、しゃあないけれど、おれと結婚してたら、しあわせかどうかはわからないけれど、医者にしてあげたっかたな。いい外科医になれたのにな。あのこのつくるパン、ふつうだったよな。」(享年63歳主婦)

吉岡くんの葬儀でのこと。
かれはわたしのとなりにこしかけて、ポツリといった。
「くすぶってなんかないよ、あんたは。よくがんばってる。つづけなよ。それでいい。だれかがみてくれる。しんじていいよ。」
遺影につぶやいたのか、それともわたしへのなぐさめなのか。
とまれ同級生の好誼(よしみ)から発せられただけなのだろう。
吉岡くんは小学校の教諭であった。

おもしろいひとがいた。
ひとの才能をみきわめる。
ただそれは死後でしかなかった。

おまえさんはどうなのだい、とたずねたことがある。
かれは笑ったまま目をとじた。
「あんたがうらやましいよ。」といった。
かれ自身の才能については終始くちをとざしていた。





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