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恋するチャイルドベイブ [おもいでの札幌]

むかし、
札幌駅前ワシントンホテルの横にチャイルドベイブという喫茶店があった。
そこで納豆カレーをなんども食べた。
納豆はひきわり。
カレールウは煮込まれたビーフが繊維状になっていた。
辛口であった。
高等学校時代の同級生がそこを指定し、
これがおいしいと、
納豆カレーをおしえてくれた。

札幌といえば、
チャイルドベイブ。
チャイルドベイブといえば、
納豆カレー。
いまでもわすれられない味である。

後記
チャイルドベイブは知る人ぞ知る喫茶店で、
筆者はそのことを知りませんでした。
北大前の、
ビートルズのかかる喫茶店は知っていたんだけどなぁ。ヘヘヘ





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らーめん、といえばヌプカ食堂 [わがまち士幌]

こどものころ、
家では出前をとるという習慣がなかった。
たまたま、
うちの婆さまが、
なにかの拍子で、
らーめんを出前してもらうことになった。

町では食堂は2、3軒しかなく、
家からいちばんちかい、
その名も「ヌプカ食堂」に電話した。

注文はらーめんを5杯か6杯ではなかったか。
うすいきみどりの澄んだスープ、
チャーシュー、
それとネギ、
のの字なると。
しなちく。
生姜がかすかにのこる、
あの端正な味は、
醤油らーめんというよりも塩らーめんのそれではなかったか。
40年もまえのことである。
わすれられない。





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訊いておけばよかった、店の名を [おいしい帯広]

児童であったころ、
叔父が帯広近郊に住んでいた。
とある週末、
うかがった。
昼になると、
かならず塩らーめんを出前でとってくれた。
ここのらーめんはおいしいからね。
叔父もおばもそういっていたのをおもいだす。

もしや、
おばうえ、
料理が苦手であったのかもしれない。
たしかにそののち、
池田町に転居して、
そこでいただいた甘口カレーが唯一のおばうえの手作り。
いまおもえば、
邪推する。

らーめんに塩があるというのはしらなかった。

なぜ遊びにいったのだろう。
ゲームもおもちゃもあるわけじゃない。
いとこもまだうまれてはいなかった。
ああそうだ。
ちかくの鈴蘭公園からみた帯広の夜景がすばらしかったのだ。
藤丸デパートの屋上に、
松下電器ナショナルの広告塔がそびえていた。
あのネオンサインが美しかったのだ。
都会とはすばらしいにちがいない。
わたくしは信じてうたがわなかった。





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通りをひろげれば、街は死ぬ [おいしい帯広]

帯広といえば、
豚丼ぱんちょうが有名で、
わたくしも一度だけ寄ったことがある。
うちの母親は料理については研究熱心で、
自家製の豚丼をそれまでにけっこう食していた。

で、
ぱんちょうの肉のほうが大きさなら勝負あり。
だが、
味についてはそんしょくはなかった。
母親は、
つまり、
ぱんちょうの味を研究していたのかもしれない。

そこから50㍍ほどに帯広インデアンカレー、
ふじもり食堂があった。
いまはふじもり食堂だけになっちまったのかもしれない。

高架線事業で帯広の街も一変した。
こじんまりとしてしまい、
往時のにぎやかさはきえてしまった。
鉄路でさえぎられた北側のにぎわいが高架線の開通により、
南側にながれたこともあろう。

通りをひろげると、街は死ぬ。
平原通りに、
いにしえの面影はすでにない。

ふりかえれば、
わがまちも、
通りをいじったがゆえに、
死んでしまったようである。





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はじめてのスパゲッティミートソース [おいしい帯広]

帯広郵便局のちかくにパーラーふじもり(ふじまるだったかも)というレストランがあった。
母親がつれていってくれた。
ミートソースのスパゲッティである。
父親も、
母親も、
そしてわたしもミートソースのスパゲッティを注文した。

木の皿に黒い鉄板。
ジュージュー音をたててそのミートソースはやってきた。
パーラーふじもり(ふじまるだったかも)で、
ほかのメニュをたのんだ記憶はない。

レストランにいって、
なにかを食べる、
というのではない。
ミートソースがたべたいからパーラーふじもり(ふじまるだったかも)へいく。
迷いがないから速い。
ほかにしらないから迷わなかった。
帯広はおいしい。





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志田病院と六花亭 [おいしい帯広]

六花亭はむかし帯広千秋庵といった。
志田病院には児童のころに扁桃腺の切除手術をし、
入院した。

かぜをひくと発熱する、
そのたびに扁桃腺は腫れた。
気を紛らすためでもあったのだろう、
母親は、
ちかくの六花亭(帯広千秋庵)にわたしを連れていく。
母親がただたべたかったからなのかもしれぬが。

おきまりは、
ホットケーキとなぜかトマトジュースであった。
2階のパーラーはひろく、
ゆったりしていた。
なぜトマトジュースであったのだろう。
トマトの赤があまりにあざやかであったのか。
塩味がホットケーキの甘さとマッチしたのか。
いまもってわからない。

ホットケーキは2枚であったか、
3枚であったか。
バターがとけて、
たっぷりの蜂蜜(シロップ?)をあるだけかけた。
もしかして皿までなめたのかもしれない。
そんな息子を母親はたしなめたのか、
たしなめなかったのか。
贅沢であった。

ちなみに扁桃腺の扁桃とはアーモンドのことをいうらしい。





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はじめての大阪 [いまも健在]

はじめて大阪にいったとき、
宿は天王寺ちかくであった。
吉野家があったのをおぼえている。
そのころ吉野家は札幌に一店舗しかなかった。

難波あたりで焼肉定食をたべた。
カウンターのちいさなコンロはまさにひとりでたべるためのものであった。
それまで、
ジンギスカンしかたべたことがない。
わいわいやるものだから、
おどろいた。

梅田花月、
中座へいった。
高等学校の時分、
土曜日、
家に着くと、
吉本新喜劇をTVでやっていた。
わたしはよくひとを笑かす。
むかしから笑うのも笑かすのもすきであった。
大阪といえばズバリ、笑いであった。
うどん、
串カツをたべるには十数年後またねばならなかった。





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士幌線 十勝三股(とかちみつまた) [わがまち士幌]

十勝三股(とかちみつまた)と帯広をむすんだ。
士幌線 十勝三股(とかちみつまた)

三股にはいったことがない。
車でとおったこともない、
はずである。
いつでもいけた。
けれど用事がなかった。
いっておくべきであった。
用事などなくてもいい。
廃線になるまえに。
糠平からバス運行になるまえにいっておくべきであった。
無念。

士幌線の動画をみたことがある。
それは糠平界隈でしかなかった。
帯広から十勝三股までの車両まえの固定カメラでの記録をとっておけばよかった。
つくづくおもうのはわたくしだけではあるまい。





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士幌線 幌加(ほろか) [わがまち士幌]

十勝三股(とかちみつまた)と帯広をむすんだ。
士幌線 幌加(ほろか)

汽車(ディーゼル)ではいったことはないかもしれぬ。
婆さまがそのむかしご近所のお婆さんといっしょに幌加温泉で湯治。
その送迎についていった。
ゆえ幌加駅のまえをすどおりしただけか。
残念。

三国峠などできてはいなかったから、糠平湖の湖岸道路をのぼっていった。
道はじゃり道、
うねりにうねった。

さびれてたなぁ。
それでも宿にはほかに数人いた記憶がある。
それと、
婆さんたちがたのしそうに笑っている記憶。
それしかない。

後記
いまでこそタウシュベツ川橋梁が上士幌町の名所旧跡になってはいるが、
当時はだれも関心がなかった。
六角精児の呑み鉄本線・日本旅「夏・石北本線を呑む!」で、
タクシーをつかって士幌線の鉄道遺産「タウシュベツ川橋梁」をたずねていたのにはおどろいた。
そういうかたがすくなからずいると聞き、
またおどろいた。





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士幌線 糠平(ぬかびら) [わがまち士幌]

十勝三股(とかちみつまた)と帯広をむすんだ。
士幌線 糠平(ぬかびら)

糠平ダムがある。
スキー場も雪質がいい。
ただ寒い。
児童のころ仲間とスキーをしにいった。
スキーをかついで歩いた記憶がある。
ということは往きは士幌線で、
帰りは十勝バスではなかったか。

糠平温泉スキー場はてっぺんにいくと、
滑走コースがまるで糠平湖につっこんでいくようにみえた。
存分にスキーを堪能しおえると、
仲間とつるんでむかいの湯元館で湯につかった。
それがわざわいしたのであろうか、
帰宅後、
わたしは猛烈に発熱し、
ねこんでしまった。
つぎの日、学校へはいけなかった。

糠平は両親の新婚旅行の場であった、
とのち聞いた。
爺さまの妹がながく住んでいた場所でもある。
糠平から然別(しかりべつ)にぬける道があり、
糠平側からいくといきなり峠になる。
その山のいただきあたりが、
糠平温泉スキー場のリフトの最高地点であった。

後記
コウケンテツの日本100年ゴハン紀行でコウケンテツさんが糠平温泉をたずねた。
糠平温泉旅館中村屋の若女将(おかみ)の奮闘。
手をかけて出される地元の食材。
なにげなくふるまう若女将。
そのなにげなさに、
強いこだわりと強い意志、
そして使命感を感ぜずにはいられなかったのはわたくしだけではあるまい。
おさないころ泊まった、
つくえ館なぞは姿を消していた。
さびれてはいるけれど、
どこか瀟洒(しょうしゃ)な街並みにかわっていた。
ぜひ、
行こう。





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チャーハンライス? [おもいでの札幌]

札幌に住んでいた。
最寄りの駅は桑園。
駅からすこしはなれたところに味よしという食堂があった。
なんにんかとつれて昼、
のれんをくぐった。

ひるどきだからほぼ満席。
ばらばらにこしかけた。
わたしはなにを注文したかは記憶にない。
たまたま、
となりに腰かけた、
若くして腎臓をやんでいた知人は、
おもむろに、
「チャーハンとライスをください。」
しずかにいった。
「えっ。」
びっくりしたのは、
店のあるじではなく、
わたしであった。
「外食はしょっぱいですから。」
そういうものか、納得した。
おもいおこせば、
塩分は相当の量を食したわけで、
ライスをたべたからといって、
塩分の量がすくなくなるわけではないのだが。





タグ:桑園 札幌
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ますやパン、伊豆屋のパン [おいしい帯広]

いっとき叔母と同居していた。
帯広にかよっていた。
ときたま、
ますやのパンをかってきてくれた。
まっしろなクリームサンド。
厚めの食パンをカレールーに浸しただけの、
いまはなきオリジナルのカレーパン。
このふたつがすきであった。

ますやではスパゲッティパンが人気であったという。
が、
伊豆屋(伊豆や)のポテトサラダパンとさきの2つははずせない、
とっておきの味である。

あれから40年たって、
カレーパンのアイディアは爾来おめにかからない。
ただ、
クリームサンドの独特はクリームにレモンがまざっていたのだということがわかった。
なぁに、
レモンクリームの菓子をたべて、
気がついただけの話。
ああ、
あのカレーパンというか、
カレー食パンがたべてみたい。
辛くはなく、
すこし甘かったような記憶がある。





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洋食レストラン ドラゴン [おいしい帯広]

帯広銀座通りの洋食レストランドラゴンに最初におとずれたとき母親は兄貴をつれていた。
ここは2度目、
クリームコロッケがおいしいんだよ。
まえに兄ちゃんときたんだヨ。
わたしは納得がいかない。
いつでも兄貴が優先。
いつぞや、
襟裳岬でとった写真にわたしがいない(まだ生まれていない)ズルいじゃないか、
と、
だはんこいた(ダダをこねた)こともある。

テーブルには白いクロス。
ほのくらく、
いままできたことのない空間であった。
こじんまりとしたコロッケがふたつ、
皿にのっていた。
食べてびっくり。
とろりとしたものが口のなかでひろがっていく。
その後、クリームコロッケはなんども食べた。
もっぱら冷凍食品である。
ちかいのだけれど、あきらかにちがう。
たしかにクリームコロッケなのだけれど、
ドラゴンの味とはちがう。
そりゃ、
そうだろう。
と、
おもいながら、
そのわけをさがしている。
なぜだろう。
たぶんそれは、
ソース。





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帯広はげ天の天丼 [おいしい帯広]

帯広銀座通りといえば、
はげ天ははずせない。
天丼にはかき揚げ、
えびが2本、
きす、
いか、
であったはず。
味噌汁のわかめがいつまでも、
あざやかな緑色をたもっていた。
これにはおどろいた。

札幌にも狸小路の1丁上に支店があって、
よくいった。
そこでもたべるのはいつもきまって、
天丼。

児童のころ近所の子と帯広にあそびにいって、
お昼に帯広ステーションビルのはげ天で天丼をたべた。
後日その子のおかあさんが、
若いふたりが外食したことにおどろき、
天丼がおいしかったことをのべ、
また、
あざやか緑色のわかめの味噌汁がたいそう気にいったことをつたえてくれた。
なぁに、そんなこと、へっちゃらさ。





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サンデパート are Go [おもいでの札幌]

叔父の結婚式で札幌にいった。
路面電車が縦横にはしっていた。

サ~ンサ~ン、
サンデパ~トあかるいおみせ
サ~ンサ~ン、
サンデパ~トあなたのおみせ
サ~ンサ~ン、
サンデパ~トすてきなおみせ

狸小路はにぎわっていて、
しょっちゅうこの歌がながれていた。
たしか、
このサンデパートに模型店があって、
そこで今井科学のサンダーバードのプラモデルをよだれをたらしながら見とれていたはずである。
模型といえば日立の広告塔がそびえていた、
帯広のかじのビルにも模型店があった。
高価で手はでないけれど、
ずうっと見ていたのだろうな。

Thunderbirds are Go
サンダーバードには魅せられた。
NHK放映当時の番組のしまいのテーマをきくと、
いまでもみぶるいしそうである。
最近アニメでリアル度は格段にあがったとはおもう。
けれど、
オリジナルとは別物で、
比較してはいけない。
だって、
オリジナル版のペネロープ、
すっげぇ魅力的だもの。
いまもって。





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ロックに乾杯 [ことば]

もし北朝鮮でロックが聞けるようになれば韓国と接近するだろう。
中国だってもうあともどりできない。
ロックをしってしまったからね。

ドイツの統合だって、
ありゃ、
ロックのおかげだぜ。
お互いのアンチフィーリングを共有することによってしだいに同じ価値観をもつようになった。
はじめておなじ言葉をもったのさ。
おなじドイツ語でもフィルターをとおしたドイツ語だったからね。
それで全体のイメージがうまれた。
きっと。

キュビズムもフォービズムも世界をかえられなかった。
絵や文学、
クラシック音楽じゃないんだな。

なんのこたぁない。
ロックさ。
みんなから、
いちばん安直で、
くそったれ、
にみられがちなロックが後押ししたのさ。

ロックに乾杯だぜ。
まったく。





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もーれつア太郎 [わがまち士幌]

テレビを地上波なんていうのはここ数年である。
むしろUHFをU局とよんでいた。
U局をみるにはコンバーターが必要であった。
もちろんアンテナもかけなければならなかった。
十勝エリアはNHK総合は4チャンネル、
HBCは6チャンネル、
STVは10チャンネル、
12チャンネルはNHK教育であった。
HTB、UHBがU局であった。

父親がU局に魅力を感じないので装着は無理。
みられない。
それはしょうがない。
もーれつア太郎で、
ニャロメ、
ケムンパスが登場するにあたって、
状況はいっぺんする。

年賀状に、
ことしもよろしくでやんす、
とか、
らいねんも、
なかよくしてくれニャロメ、
ことしもよろしくたのむぞニャロメ。
連打であった。

それがみられないのがつらかった。
余談ではあるが、
わたしが太っていたころ、
パンツいっちょうでいると、
ココロのボスのようだといわれ、
心外であった。





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よつ葉のテトラパック3.4牛乳 [わがまち士幌]

小学校の給食には四角の食パンがでた。
いわゆるミミの部位の味がうえ、
左右は香ばしいのだけれど、
底部はへんな味に感じ、
苦手であった。
そこだけ残した。
残すことは歓迎されないので、
かくしたりして、
しのいでいた。

牛乳はいつごろからか紙でできたテトラパックで配膳された。
よつ葉のテトラパック3.4牛乳である。

あるとき、
おかずにスパゲッティサラダだとおもう、
食器にかおをちかづけて、
むしゃむしゃたべている瀬戸君のあたまをしたに押した。
すると、
瀬戸君はかおをあげ、
なにするんだよ~、
と怒る。
が、
マヨネーズだらけの瀬戸君のかおがまるでトーテムポールのかおのようにみえて、
わたくしはふきだしてしまった。

瀬戸君には水銀をみせてもらった。
銀色で、たしかに水のようであった。
朝礼ではまえから2番目の瀬戸君。
ちょっとした小細工が得意であった。





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帯広銀座通りゲルマン亭のハンバーグ [おいしい帯広]

帯広の銀座通りにゲルマン亭というレストランがあった。
母親は父親と兄貴3人で、
そこでハンバーグをたべた。
後日わたしにおしえてくれた。

こんどはおまえ(わたしのこと)もつれていってあげる。
結果からいうと、
わたしはゲルマン亭にいったことはない。
ただ、
ああここか、
と店のまえをあるいたことのみである。

どうしてわたしをがいまち(なかまはずれ)にしたかといえば、
たぶん、
母親が家の自転車を兄貴に帯広までこいでいってもらったときではなかろうか、
と記憶する。
わたしは、
むろんことわったわけだ。
約30㌔である。
兄貴はそういう男である。





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喜多方らーめん、まこと食堂 [いまも健在]

喜多方へはバスでいった。
らーめんを二杯、
はしごした。
東京にもある店にはいかなかった。
駐車場から地図をかたてにあるいていった。
まこと食堂といった。

注文からのんびりとして、
水ものんびりと配膳された。
とにかく東京はなんといそぎあしであるいているのか、
妙なところで合点したのをおぼえている。
まこと食堂のらーめんづくりがおそいのではない。
それをおそいとかんじるわたしのほうがせっかちなのである。

で、
スープをひとのみおどろいた。
わが家で母親がつくるらーめんとおなじではないか。
たしかに母親は福島に縁はある。
が、
らーめんは別であろう。

わたしはおさないころから、
まこと食堂とおなじ味を食していた。
とはいえ麺はちがうのだけれど。
(実家では上士幌の芳賀製麺所)
ただ母親とてどこかでだれかのレシピをたよっているはずで、
それだけのことだけれど、
おどろいたことはたしかであった。

実家をでてすでに20年は経っていた。





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肉はにがて、いまはトンカツだいすき [とんかつ大好き]

肉はにがてで、
実家では豚すきがおもで、
牛すきやきをたべたのは上京してからである。
まわりには乳牛がちらほら。
町の人口よりも牛のかずがうわまわっていた。
が、牛肉はたべなかった。

なにより牛肉は高価であった。
豚すきは肉がかたく、
かんでいるときもちわるくなり吐きだしてしまう。
それがいやでにがてであった。
函館の叔父をたずねたとき、
おばうえが豚のロースを焼いてくれた。
それがおいしかった。
いらい、豚肉はおいしくたべられるようになった。
とはいえまだあぶらみは苦手であった。

トンカツは大晦日、
母親は揚げてくれた。
だいすきなポテトサラダもたくさんつくってくれた。
で、
トンカツをおいしいとかんじるのは札幌にでてからで、
札幌駅前、
札幌国際ビル地下にトンカツ屋があって、
そこで月に2・3回、カツ定食をたべた。
とりわけソースがなじみのブルドックソースとはちがっていて、
甘みがつよかったと記憶している。
それをキャベツにたっぷりかける。
和からしもたっぷりつける。
肉の味はきえてしまっている。





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六花亭のリッチランド [おいしい帯広]

六花亭がまだ帯広千秋庵であったころから、
リッチランド(サイロの形のチーズサブレ)のつつみには地元児童の詩が載っている。

ちびっこの詩で、
おもわず膝をたたいたものがある。
スケート大会という中野くんの詩だ。

スケート大会で、
レースまえ、
あんなにふるえていたのに、
レディ ゴウ、のときは、
それまでのふるえがとまり緊張もさむさも一しゅんでなくなる。
というものである。
わたしはいまでもそのつつみを机のよこにはってある。
集中とは、
じつにこのことをいう。
しばしばサッカーなどで、
集中集中なぞと、
いいあうが、
あれは集中なぞできていないあかしでしかない。
集中とはしずかにふかく沈潜するものであるからだ。

六花亭のリッチランドにしたためられた明朝(みんちょう)のどこかふるくさい書体をみるたびに、
わたしはなえてしまいそうなこころをふたたびふるいおこすのであった。

児童詩誌「サイロ」
http://www.oda-kikin.com/sairo.html





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