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スポーツマンシップを問う 座布団舞う、大相撲11月場所 [スポーツ]

  スポーツマンシップを問う 座布団舞う、大相撲11月場所

朝青龍敗れる。
勝ったのは琴欧州。
紫色の座布団が大相撲11月場所の会場、福岡国際センターに舞う。

全国放送。
その映像をこどもが見る。
なんどもなんどもこどもが見る。
横綱が負ければ座布団をとばすものだと勘違いしてもしょうがないのではあるまいか。
波乱があれば座布団が舞う。
それはすなわち、気にいらないことがあれば、
「きれる。」
といって傍若無人。
それを奨励していることに、だれも気づかない。
制止すべきはずのおとなが笑いながら楽しそうに座布団をとばす。
感情はすでにその箍(たが)がはずれている。
これがニッポンである。

だれかが座布団をとばす。
あぶないじゃないか、とだれもおもわない。
テレビでみたことがある。
まえからやってみたかったんだ。
わぁ、すごい、壮観だ。

想像力の欠如。
やってはいけないという規範すら皆無。
モラルもマナーもへったくれもない。
在るのは言葉だけじゃないか。
道徳すらなっていない。
道徳以前の問題じゃないか。

著者は絶対に会場へは行かない。
あたまに座布団があたったら危ない。
被害に遭いたくない。
危害を加えたくない。

大相撲だけではない。
野球だって、フットボールサッカーだっておなじである。
熱狂のあるところにはかならずある無規範。
そういう卑劣がまかりとおるからフェンスやネットで区切られてしまう。
むしろそのほうが良い、といっているようなものではないか。

英国のフットボールサッカー場の、芝生と観客席は近い。
へだてるものはなにもない。
しかしそこに厳然として在るものは選手とファン、たがいの信頼のみでしかない。
それをスポーツマンシップというのではないのか。

柏レイソルのホーム、柏市日立サッカー場。
著者のいちばんすきなフットボールサッカー場である。(11.29.05)





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食育とは [ことば]

食育。
まず、文字。
すきじゃないな。
食べる力=生きる力。
こちらのほうがしっくりくる。
育成とかかんたんに口にするけれど、これはいわば軍事用語。
無反省のままつかわれていることばである。
食育とてそれの変装にすぎない。

食べる力をやしなうのならば、まず。
空腹とはなにか。
飢餓とはどうなるのか。
これをおしえる。
それで十分なのではないだろうか。

いさかいの原因の、
その根底には、
空腹と飢餓がある。

いまの飽食とて、
ずうっとつづくとはかぎらない。
ひとまかせにせず、
たべものだけは自力でまかなわなければならない。
そのためになにをするか。
なにをするべきか。
それを問いつづける。
いっしょにかんがえる。

食べる力をやしなうこととは、
舌をきたえることではなくて、
脳髄を刺激し、
訓練することでしかない。





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奇跡などない [ことば]

奇跡の生還。
奇跡の大逆転。
奇跡の勝利。

奇跡の大安売りはいまさらのことではない。

はたして奇跡はあるのだろうか。
それともないのだろうか。
奇跡とはいったいなにものなのだろうか。

その判断をないがしろにしたまま、奇跡はあるだろう、奇跡はあるんじゃぁなかろうか、奇跡はあってもいいんじゃないだろうか。

けっしてこの範囲をこえることはない。

奇跡という言葉はつかわない。
奇跡をつかうと、そこで思考が止まるからである。
奇跡だ、といってしまえば、すべてのできごとを、人知の彼方へ追いやってしまうからである。

いや、むしろ、そこから始まるべき顛末の整理をうっちゃってしまいたいがため、奇跡という言葉をわざとつかうのか。
それが奇跡を軽々しく口にしてしまったり、文字にしてしまったりする、ほんとうの理由なのではないのだろうか。

奇跡すらも、さっさと水に流してしまうのである。
人がそうするんだもの、自分だってそうしなくっちゃ。

はたして奇跡は毎日起こる。

やがて、
「こんにちは。」
という挨拶が、
「奇跡ですね。」
「ほんとうにきょうは奇跡ですね。」
という、わけのわからないやりとりになるかもしれない。

奇跡などない。
そう覚悟するほうがすっきりしている。





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