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ゴールがすくないわけ [サッカーの基礎]

サッカーとはどういう競技か。
よりおおくのゴールをきめたチームが勝つ。
というにすぎず、それ以外は附則にすぎない。

肝に銘じてほしい。

             *
十数年ちびっこたちとサッカーをたのしんできた。
そのなかで、仮説をえた。
実感である。
全日本(いいかたは古いけれど代表といういいかたがすきではないので)の試合を観ていて気がついた。
サッカーをはじめたころからのゴールをきめる回数が圧倒的にすくないのではあるまいか。
ゆえにJリーグその他、邦人が出場する試合でのゴール絶対数がすくないのではなかろうか、ということである。

核心からいう。
サッカーをはじめたころからやるべきことは、ちびっこたちにゴールゴールゴールのシャワーを浴びせてあげることである。
なぜならば、ゴールがひとをそだてる。
その可能性をもつがゆえ。





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ゴールのシャワーを浴びせるには [サッカーの基礎]

では、どうするか。
ゴールキーパーをおかない。
ゴールキーパーをおくと、ゴールキーパーがいなくてもきまらないゴールがいっそうきまらなくなる。
サッカーはゴール。
それで完結の競技なのである。
ゴールのまえに半円のエリアをもうけ、そこは攻撃側以外ははいれなくする。
もちろんオフサイドなぞは設定しない。
あるちびっこが敵陣ゴールまえでまっていても、それはそれでひとつのアイディアである。
いいアイディアだね、といってあげてもよいだろう。

5点きまるまでつづける。
10点でもいいだろう。
得点者をひとりづつきめて、全員が得点者になるようにする。
あとは自由。
いままでなかなか得点できなかったちびっこが1度得点をきめる。
すると再度きめたくなる。
これこそがゴールをきめるという本質。
これがサッカー。
そのときのかれらの立ち位置は攻撃者のものである。
自然とそうなるがよろしい。

あそびゆえ楽しい。
だから集中力が発揮される。

上達はしているかどうかはわからない。
けれど、なにかはわずかではあるが、かわっているはずである。

わたくしはそのようにしてゴールゴールゴールをちびっこたちに浴びせている。





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ポジションはどこでもOK [サッカーの基礎]

ポジションについてはなにもいはない。
とにかくゴール、ゴール、ゴール。
どこにいてもゴールはねらえる。
キーパーはいないのだ。
それでも、かれらはポジションをおさえてくることがある。
おれはここで、おまえはここ、というふうに率先して指示をだす子がいる。
かれのまわりでおとなたちがすることを聡明なるちびっこはまねる。
が、いっさいかまわない。
わたくしは、ポジションには拘泥しない。
どこでもいい。
どこからでもゴールはきめられる。
きめる意志をもつか、否か。
サッカーの真髄はここにつきる。

1対1の場面ではパスをだすのではなく、どうしたら敵陣を突破できるか。
勝負をうながす。
攻撃者が有利ゆえ。
もしどうしてもひとりでいけないのならば、パスをしてみれば、という。
まずはひとりでいく。
そしてひとりできめる。
それが最善。
ドリブルはひとりでいく。
1対1ならば、かならず勝負することをわたくしは声をだしてなかば強制する。
味方へのパスはあくまでも次善の策にすぎない。
サッカーは組織ではなく個がきそう競技なのである。





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じゃまをして、あいてのボールをうばってしまえ [サッカーの基礎]

攻撃を主眼にすえている。
が、それで、よしとはしない。
ひいてまもる、ことはしないだけである。
まもりからはいる、とおとなたちはかるがるしくいう。
それはどういうことを意味するのか。
わたくしはちびっこたちに問う。
それは先制をゆるすかんがえではあるまいか、と。

攻撃は防御なりという。
至言である。
こちらが攻撃しているときはあいては攻められない。
まして稚拙ならば、攻めに集中すべきではないか。
攻めづかれという。
なぁに、つかれにくくすればよいだけのこと。

わたくしはちびっこたちに、じゃまをしよう、とつたえている。
あいてがボールをもっているとき、
さぁ、じゃまをしよう、ボールをとってしまおう、
と檄(げき)をとばす。
ひとりでとれなければ、ふたりでいこう。
あいて陣地で、攻勢をかける。
プレッシングサッカーの実践である。
じゃまをすることにたけたちびっこたちは、あっさりとボールをうばい、ゴールへパスをくりだした。
なんどもなんどもくりだした。
わたくしがかんがえるサッカーである。





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力をぬいて、精確に蹴ろう [サッカーの基礎]

サッカーの基礎というと、まず技術をおもいうかべるだろう。
が、足はちいさいし、脚力はない。
そんなちびっこたちにインサイドキックをおしえてもできるはずはない。

力いっぱい蹴るちびっこに、力をぬいて蹴ることを意識させる。
地面からうかないように、グラウンダのゴロを蹴る。
いまはへっぽこだけれども、それは筋力がそなわっていないから。
あせらないこと、
ひととちがっていてとうぜんということ、
きにしないこと。
いまのうちに精確に蹴ることをおぼえてもらいたい。
精確に蹴る、心がまえをもつようにうながしている。

どういう蹴りかたがいちばん精確にできるか。
ちびっこに問うといい。
足をつかっていれば、どこでもいい。
かれらの得意を意識させること。
それでいい。
精確に蹴られる方法があったらをおしえてもらう。

ただし、インサイドキックの基本はおしえるべきである。
いまはできないけれども、やはりいちばん精確に蹴る方法はインサイドキックかな、と。
それと同時に、おかあさん、おとうさんにつたえることはわすれてはなるまい。
インサイドキックの基本動作をおかあさん、おとうさんにただしくつたえること。
これこそが重要であるとわたくしはかんがえる。





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なぜ監督コーチはえらそうに椅子にふんぞりかえるのか [サッカーの基礎]

ちびっこたちと河川敷グランドで練習する。
月1回の割合だ。
フルコートはありがたいが、
残念なのはそこが土のグランドだということである。
ならびの野球場の外野には芝が緑々としているのに、
いまもって球技場は土のままである。
球技場の横にハーフコート?があって、
そこは芝生だ。
手入れはあまりなされていない。

そこで50人はいたであろうか、
中学校か高校か生徒諸君がサッカーの練習にいままさに入ろうとしていた。
ちびっこたちとシュート練習をするとき、
わたくしはゴールの横に立ち、
枠をはずれたボールを追う。
ときにキーパーになったりディフェンダーになったり。
ちびっこたちに声をかけつづける。
それがわたくしの役目である。

しばしばボールは手の届かないいところへころがっていく。
そのとき、
となりで練習する生徒諸君の顔をみておどろいた。
覇気がない。
つまらない。
声は出ている。
といっても、
いつものどうでもいい掛け声のたぐいである。
そのなかにひとり、
椅子にふんぞりかえって、
しかもおっかない顔で座っている人がいた。

生徒諸君がゴールをはずすたびに、
かれは、
「いれろよ。」
でかい声でくりかえす。

わたくしは瞬間に憤りをおぼえた。
教師の、
監督コーチのいったいどこがえらいというのか。
かれらよりもさきにこの世に生まれ出ただけじゃないか。
それは教育の目的が、
年長者のいうことをきいていれば間違いはおかさない、
という思い込みが無反省のまま放っておかれてきたからである。

ちょっとだけましなものがこどもたちに教える。
こどもたちよりもすこしだけ物事について知識あるものが、
知識の少ないこどもたちを教える。
それがほんとうのところなのじゃないのか。

教育への期待とはその程度であるべきだし、
その認識でたりる。
よき先輩、
兄貴分にはなりえても、
頭ごなしに命令をだせる資格なぞあろうはずがない。

これは軍事教練の悪しき風土が脈々と、
しかも堂々と跋扈(ばっこ)するとしかいいようがない。
だからニッポンは戦争に負けたのではなかったのか。





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ちいさな失敗を放置せず、ちいさな成功は意識しよう [サッカーの基礎]

ボールを蹴る、とおなじくボールをうけることもサッカーの根幹である。
あいてがちかくにいなければ、雑でもよい。
あいてにうばわれない範囲にとどめればそれでよし。
あいてがどこにいるか、
ボールのうけかたはあいてとのその距離如何である。
あいてとの距離がちかくなればなるほど、精度がもとめられる。
あいてがピタッとくっついているときこそ、足に吸盤がついているかのごとく、ボールを制御しなくてはならない。
トラッピングは、ただボールのいきおいをとめるにあらず。
トラッピングは、どのような状況で最適な方向にボールを据えるか、を問うものである。
最適な方向とは、つぎの動作にむだなくつなげられる位置、そこに据えることをいう。

面とむかう1対1の練習では、ただまえに据えるだけでよしということになる。
それでは意味がない。
つねに活きた球で、つぎの動作を仮定しながら訓練する。
うまくいったときは「よしっ」と声をあげる。
もしうまくいかなければ、理由をたしかめる。
なぜうまくいかないのかをかんがえる。
そして再度ためしてみる。
うまくいったときのコツを意識する。
その訓練をする。
それだけで練習の密度は濃くなっていく。
失敗はむしろ歓迎すべきものなのである。

ひとつのちいさな失敗を放置しない。
ちいさな失敗は理由をたしかめやすい。
理由はひとつかふたつ。
ひとは、いちどに3つの失敗をかさねることはできないのではあるまいか、とかんがえるからである。

ちいさな成功を意識することには積極的であるべきだ。
その重層が自信を構築するからである。





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ボールをとめるには [サッカーの基礎]

藤子不二雄Aさんの漫画、プロゴルファー猿。
そのなかで、主人公がスーパーショットをくりだす。
漫画はスーパショッツだらけなのだろうけれど。
それはグリーンにはためくピンをめがけてうつもので、ボールは旗にからまると、ポトリとカップにおさまった。
トラッピングとはまさにこのことではなかろうか。
スポンジをおき、高いところからボールをおとす。
水をふくまないスポンジはボールを反発させる。
が、しめらせたスポンジの反発はすくない。
このイメジ。
反動をすくなくおさめる。

あいてのボールをうばうにはトラッピングのときをねらう。
ミスがおきやすい、そのときをねらう。
ミスがおきやすいからミスをしないように、なんどもなんどもくりかえす。
それを練習というにすぎない。

あえていう。
なんべんでもいう。
サッカーは単純なスポーツである。
難しくしているのは、我々である。
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ごっつぁんゴール [サッカーの基礎]

ごっつぁんゴールというゴールがあるそうな。
めのまえにボールがころんできた。
それを蹴っただけ。
そうであろうか。

わたくしはそうおもわない。
きみがそこにいたからきめられたのだ。
きみがそこにいたから、
きみがそこにきたから、
きめられたのだ。

ボールが勝手にころんでなぞくるものか。
ここにいれば、
ボールはくるかもしれない、
と感じたから、
きみはそこにいた。
たまたまかもしれない。
それだけのことである。
けれど、
すばらしいゾ。

サッカーは判断。
ボールはくる。
かならずくる。
そう感じることがたいせつなのではなかろうか。
こないこともある。
ほぼこない。
たしかに。
でもこないからいかない。
その判断よりも、
くるかもしれない、
だからいってみる。
という判断を優先してあげるべきではなかろうか、
とおもう。

かんたんとおもわれるボールほどていねいに、
かくじつにあつかうことをおわすれなく。





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サッカーがうまい、とはどういうことをいうのか 1 [サッカーの基礎]

ちびっことサッカーをしている。
そのときのおとなの反応が或るパターンを逸脱せず、
多様さがないことにきづく。
うまい、
とおもうか、
へただとおもうか、
そのいずれかでしかないようである。
うまい、
とはどういういみなのだろう。
あのこはうまいなぁ、
というあのこは、
いったいどんなふるまいをしているのだろう。

ちびっこがおとなたちの想像をこえた仕掛けをしたとき、
おとなはそのこに、
「うまい。」という。
このときのおとなの反応はほぼひとしい。

ゴールへのパスをきめたとき。
とくにアクロバチックな仕掛けのときは異口同音。
そんなところだろう。

日々のなかで、
たとえば、
おとなしいとかんじていたこどもが、
ひとりでゴールへパスをしかけたとき。
これなぞは、
「あんなプレーをするなんて、びっくりした。」
という。
反応はあるが、
パターンをこえない。
そういうおとなたちにこどもたちはかこまれている。

つまらないのは、
つまらないおとなが多いからにすぎないのではなかろうか。

それは球しかみていないから。
ゆえ、
局面しかおえず、
全般をみわたせない。
球のないところでのちびっこの活躍をまったくみていないからではなかろうか。

そうじてこのみかた、
この邦においてはサッカーにだけあてはまるものではなさそうである。
欠落であり、
まったくの訓練不足というしかあるまい。


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なぜちびっこはサッカーをやめるのか [サッカーの基礎]

なぜちびっこはサッカーをやめるのか。
わたくしはつまらないから、やめた。

小学生のころスポーツ少年団というのがあって、
そこでサッカーをためした。
練習があって、
ヘディングの練習をした記憶がある。
試合では左サイドバックスであった。
サイドラインぎりぎりの浮き球をボレーでうしろに蹴った。
サイドラインをきらなかった。
その記憶しかない。

練習への参加はその日いちにちであったとおもう。
つまらないからやめた。

あのとき、
いまのわたくしがなかまとしてちかくにいたとしたら、
どんなふるまいをしただろう。
去る者は追う。
いまのわたくしならば、
どうたいしょするだろう。
たぶんちびっこのわたくしのほうが頑固なきがする。
やっぱりスポーツ少年団をやめたであろう。

ちびっこがサッカーをやめる。
サッカーの本質であるゴールをあげるたのしさをたっぷりとあじわうことなく、
去っていく。

わたくしがふたたびサッカーをはじめたのは30年後であった。

たいがいはひととのわずらわしさのうちにやめていく。

サッカーはすきなのに、
サッカーがきらいになる。
ほかのスポーツもおんなじであろう。


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代表チームの問題点。正確なトラップが精確なパスをうむ [サッカーの基礎]

ニッポンサッカーチームはオーストリア、グラーツ。
現地時間2020年11/13日パナマとの国際親善試合に1-0で勝った。
南野(リバプール)拓実選手がPKをきめた。

わたくしは前半と後半のはじめをみてよした。
ばたばたとして、つたないミス、ミス、ミスの連発にくたびれてしまった。
つまんねぇ、というのが実感。
決定的な欠落を感じた。
それはトラップのつたなさであり、捕球がなっていないのではないか、ということである。

MLBにカル・リプケンがいた。
ショート・ストップ遊撃手である。
かれは打撃はもちろんその守備に秀でた名手であった。
なにせミスをしないのである。
そのかれが、いわゆるダブルブレーについて、いわく、
「しっかりと捕球すること。」
という。
ダブルプレーは連動した「さばき。」を必要とする。
まずキャッチングだ、と名手はいうのである。

ニッポンに欠けているのは、この、
「しっかりと捕球する。」ことではなかろうか。
つぎのプレーを急ぐばかりで、捕球がおろそかになっている。
ばたばたする印象とは、じつはトラップが下手なくせに、それに気づかずあせって配球しようとする。
そのわるい癖にだれも気づいていないからなのだ、と。
わたくしはかんがえる。

正確な捕球(トラップ)があってこそ精確な配球(パス)を可能にする。
あわてず、しっかりとボールをみて捕球する。
基本ができていないというよりも、基本をわすれてしまっているのだろう、とおもいたい。






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追悼ディエゴ・マラドーナ。ていねいにボールをあつかう。ディエゴとシンジ [サッカーの基礎]

ワールドカップ・マスターズサッカー 1989 ヨーロッパ選抜 vs 南米選抜。
1-3で南米選抜が勝った。
MVPはジーコ。
優秀選手はカールハインツ・ルンメニゲ。
わたくしは現場で観ていた。
連れていってくれた早川さんは、
「南米選抜が勝つよ、きっと。」
といった。
「こういう試合はテクニックのあるチームが勝つんだ。」
なるほど南米選抜は勝った。
テクニックとはなんぞや。
謎ときのはじまりであった。

あわてず、しっかりとボールをみて捕球すべきだ、と11/14日に書いた。
が、それはつまり、
ていねいにボールをあつかう、
ということである。

さきの試合にディエゴ・アルムンド・マラドーナはでていない。
イタリア・ナポリで現役であった。
ディエゴ・アルムンド・マラドーナは曲芸師のようにボールをあつかった。
それはていねいにボールをさばいていたからできた芸当である。
小野伸二選手もまるで曲芸師である。
ふたりの差はなにか。
それはゴールヘのパスという意志。
ゴールをみている回数。
この差なのではなかろうか。






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それはズルガシコサでも、マリシアでもない。卑怯という。非紳士的行為、そのものだ。 [サッカーの基礎]

報復行為として注意、警告、退場処分を受ける。
わたくしはおもう。
では、その行為のもととなった相手選手にたいして、なにもない、というのはおかしいじゃないか。

エースがうけたのは、あきらかに、いやがらせであった。
エースとは、もちろん攻撃の要(かなめ)である。
そのかれを止める。
防御の必定である。

執拗に、執拗に、からだをあわせる。
エースは絡みつく相手を手ではらいのけた。
その瞬間、2枚目のイエローカード。
攻撃の要(かなめ)は退場する。
非紳士的行為。

挑発にのったのが悪いという。
が、それは嘘である。

挑発はもはや紳士的行為ではない。
問題はそこにやどる精神である。
挑発して得るメリットに何程の価値があろう。

それはズルガシコサでも、マリシアでもない。
卑怯という。
非紳士的行為、そのものだ。

密着すぎるマーク。
はたして、これはフェアープレーなのだろうか。

わたくしは、報復とともに、それを誘発したプレーにたいして、
いや、むしろ、
誘発プレーにこそ重きをなした注意勧告をすべきであると考える。





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個性がない、ジュニアユース、ユース世代のこどもたち [サッカーの基礎]

ジュニアユース、
ユース世代のこどもたちを見て、
おおくのおとなはつぎのように慨嘆する。
「上手なんだけれど、みんなおなじようなサッカーをする。」
で、わたくしは翻って、
「そういったこどもをふやしているのはだれなのですか?」
ただしたくなる。

テクニックをもつことは褒めるべきこと。
上手こそ上達のあかし。
それをもって、
「テクニックだけはもっている。」
へんちくりんな物言いは即刻、よしてもらいたい。

上手である。
まずはそれを率直に認めること。
褒めるときは具体的でなければいけない。
どこが、どのように上手なのか。
それがおとな側のステップその1である。
上手なのに文句をいう。
そんなばかげたことを見すごしてはいけない。
テクニックこそがサッカーを楽しむためのいしずえになる。
そのテクニックを身につけようと、
みんなはっちゃきになって練習するのではないのか。

そこからなにを加味できるのか。
それが肝腎なのである。
おとなたちに明確なヴィジョンはあるのか。

この世代は、まず、肉体を着実に鍛えることが肝要である。
それは、見ための筋力をつけるのではなく、
からだの表面にあらわれない体幹となる筋肉の強化である。
釜本邦茂さんのようなスケート選手ばりの太腿をもつ青年ばかりじゃなく、
ひょろひょろに見えても倒れない少年を目指すべきである。
そして、倒れても、ダメージのすくない倒れかたのできる少年をふやすことである。

こどもに似たタイプが多いのは、
かれらの身近にいるおとなたちに似たタイプが多いからである。
どのおとなも、
教えかた、
話しかた、
生きかた、
教養の度合い等、
似かよったタイプがおおいからである。
こどもはそれをまじまじと映す、鏡体でしかない。

こどもたちが頼りないのはおとなたちが頼りないからにほかならない。
こどもたちがひよわなのは、
なぁに、ほんとうは、おとなたちがひよわだからである。

こどもたちに個性がないという。
その目指すべき、
形作られるべき個性、
個性のあるべき姿とはいったいなんぞや。
そこから質疑応答をはじめているのだろうか。

そこをおざなりにしてはいまいか。
みせかけの筋力、みせかけの勝利ばかりに目がいってやしまいか。

実のところ、問題を内でくすぶらせているのはこどもではなく、
つねに慨嘆する側の、
おとなたちなのだ。
そこを忘れてはならぬ。





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日本1-0南アフリカ [サッカーの基礎]

東京オリンピック サッカー男子 1次ラウンド グループA
日本1-0南アフリカ
オリンピックへの関心はうすれてはいる。
サッカーとバスケットは気になる。

むずかしい試合になるであろうこと。
韓国がニュージーランドに負けたことでも想像はできた。
メキシコは強い。
メキシコ4-1フランス

久保建英選手のワールドクラスなゴールによって勝つ。

まず、久保建英選手の位置のとりかた。
それとボールのとめかた。
ひとりをよけて、ゴールへのパス。
かれはそれを想定していたという。
そうであろう。
そうでなければ生まれない。
決めるとおもわずして決めることはできやしない。
それがゴール。
これがサッカー。

この試合、久保建英選手がキーマンであることはまちがいなかった。
もちろん久保建英選手ひとりが試合を決めたのではない。
ただ決定的な仕事をするお膳立てはそろっていたのかもしれない。
久保建英選手は、
ずうっとくすぶっている。
ゴールを決めたときのかれの顔をみよ。
どうだ、これが久保建英だ。

チームをトーナメントにつれていく。
これがかれのもっかの課題。

わたくしは久保建英選手のボールタッチがおおすぎるのではないか。
そう考えている。





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おそまつ、なでしこジャパン0-1英国 [サッカーの基礎]

東京オリンピック サッカー女子 1次ラウンド グループE
日本0-1英国

なでしこジャパンをみた。
ひさしぶりである。
途中でチャンネルをきりたくなった。
我慢してみていたが、そのせいで気分がわるい。

こんなにも劣化していたのか。

プレッシングなどなし。
無駄なロングフィード。
へたくそのくせに足元にパスをだそうとする。
パスはコースをはずれる。
ボールをとめられないから、
ルーズボールになる。
英国はそこをねらってくる。
へたくそなのだからこそスペースへ配球し前進しなければならないのに。
スペースをつかう工夫がまったくみられない。

おそまつもここまでくると言葉がない。

熊谷紗希選手は攻撃でつかうべきではなかろうか。

体格で劣って、プレイも劣っていては、
勝てるはずがない。
勝負にすらならないのではなかろうか。
カナダ戦は引分けたようだ。
それだって、たまたまなのではないのか。

すくなくとも走り負けしてはならないのに。
走ってすらいない。
ひどすぎる。
高倉麻子監督の解任をのぞむ。
これではだめだ。

参考
負けてたまるか
http://www17.plala.or.jp/borisu/fujun_sports.archives04/fujun_sports.4.26.04.html





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日本2-1メキシコ [サッカーの基礎]

東京オリンピック サッカー男子 1次ラウンド グループA
日本2-1メキシコ

コールキーパーがパントをせず、
ディフェンスからくみたてる。
その光景をみていると、
イヴィツァ・オシムさんがヘッドコーチをしていたころの、
JEF市原をおもいだした。
パントキックはともすると、
たやすく相手にボールをわたすことになる。
オシムさんはそういいはなっていたっけ。

前線からのプレッシング、
スペースへのボール。
オーヴァーラップはなかったけれど、
オシムさんがいたころのJEF市原時代を彷彿させた。
前半はベストバウトである。

個人的ではあるけれど、
オシムさんが率いるJEF市原には、
素晴らしいサッカーをみせてもらっていたのだ。
実感した。
それがたしかめられただけでも、
わたくしにはありがたい内容であった。





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日本4-0フランス [サッカーの基礎]

東京オリンピック サッカー男子 1次ラウンド グループA
日本4-0フランス

試合へのはいりかたはダメなときのニッポンに戻ってしまっていたようにおもう。

ただ、
地元の利は、
時差がないこと。
それと天候に慣れているということだろう。
フランスチームはあきらかに疲れていた。

日本チームは、
メキシコ戦の先発から、林(鳥栖)大地選手と相馬(名古屋)勇紀選手が、
上田(鹿島)綺世、旗手(川崎)怜央選手にかわった。
チームはすっかりかわってしまう。
そんななかで1点目。
久保建英選手の縦へのパス。
その判断とコース。
簡単そうに見えるけれど、
ワールドクラスといわざるをえまい。
それを上田綺世選手がゴールへパス。
はじいたところに久保建英選手がいた。
その判断にもう迷いはないのではなかろうか。

上田綺世選手はペナルティエリアにいるのにもかかわらず、
パスを選択した、
いただけない。
あなたはフォワードだ。
むしろ縦へつめてゴールへパスを放つべきである。
ゴールしか見るな。
そう伝えたい。
旗手怜央選手もペネルティエリアにいるにもかかわらず、
パスを選んでいる。
その判断はまちがっている。
むしろ、めのまえのスペースへ、
縦へ、
エンドラインへ、
攻勢をかけるべきである。
フランスのスカウトの目にとまる絶好のチャンスなのに。

ペナルティエリアでのパスなど、
わたくしのサッカーでは考えられない。





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なでしこジャパン1-3スウェーデン [サッカーの基礎]

東京オリンピック サッカー女子 準々決勝
日本1-3スウェーデン

敗北が決まって高倉麻子監督に小言をなげかけるのはフェアではない。
なさけないのは、
選手諸君はいったいなにをおもいながらやっていたのか、
ということである。
高倉麻子監督に、率直に意見を述べる選手はいたのか、
ことばで、プレーで。

わたくしは、
なでしこジャパンが英国に負けたとき、
その無様(ぶざま)さに、
監督更迭すべしといった。
それはカンフル剤としての選択である。
選手が奮えば、
試合はかわる。
選手が奮わなければ、
チームはかわらない。

スウェーデン戦をみていると、
それは無理だと感じた。
きっと、だぁれも意見を述べることはなく、
熊谷紗希選手数人が精神的な文言をいい、
それでちゃんちゃん。
ではなかろうか。

かんがえる訓練をしていない。
そう感じた。
ゆえの凡プレーということであろう。
チャンスの大切さを知らなさ過ぎる。

参考
たいしたことないことは、たいしたことない アテネオリンピックサッカー女子日本代表チーム
http://www17.plala.or.jp/borisu/fujun_sports.archives04/fujun_sports.8.12.04.html





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苦戦とは、日本4-2ニュージーランド(PK戦) [サッカーの基礎]

東京オリンピック サッカー男子準々決勝
日本0-0ニュージーランド
PK4-2

たとえば、
格上だと、
そういわれたチームに勝つ。
それを3回つづけたわけだ。

調子にのるな、
といったところで、
調子にのらない、
はずはない。

ニュージーランドは素晴らしいチームであった。
技術的には数々のちいさなミスを繰返してはいた。
けれど、するべき仕事をこつこつとこなしていた。
オールブラックスを擁する国である。
英国が宗主国であった地域に、
あきらめず、
ねばりづよい、
印象をもつのはたまたまなのであろうか。

苦戦は苦戦するチームにしかうまれない、
とは以前書いた。(下にリンク)
苦戦をしらないこどもたちに、
口伝しても、ほんとうのところは伝わらない。

ニュージーランドとの一戦は説得力をもつ。
チームは苦戦をへて、はじめてチームになっていく。
その触媒こそが苦戦して勝つ、
という意味であろう。

参考
こうして日本は苦戦する
http://www17.plala.or.jp/borisu/fujun_sports.archives04/fujun_sports.4.1.04.html





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なぜ久保建英選手をさげたのか、日本0-1スペイン(延長) [サッカーの基礎]

東京オリンピック 男子サッカー準決勝
日本0-1スペイン(延長)

延長で選手交代。
なぜ久保建英選手をさげたのか。
そこにつきる。
その時点で、
日本が得点をとって勝つことはない、
わたくしは観念した。

久保建英選手はまぎれもないエースとなっていたからである。
はずしてはならない。
森保一監督はそれをわかっていなかった。
久保建英選手によって救われてきたにもかかわらず。

予選での緻密なたたかいがくずれていた。
ボール支配が得意なスペインに、
ロングフィードでスペインボール。
なんかいもなんかいも繰返す。
メキシコ戦での経験はなんであったのか。
たまたまか。

監督ができることは選手交代。
そこで余計なことをする。
それも監督でなければできないことなのだろう。
無念。

林大地選手、久保建英選手は交代すべきではなかった。





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工夫がない、サッカー日本代表チーム [サッカーの基礎]

パラリンピック東京大会
ホイルチェア(車いす)バスケットボール男子準決勝
9/3 日本79-68英国

快挙。
チーム競技で、
これほどの功績をあげるとは、
おもってもみない。

いま、
工夫。
このことばのいみをたしかめている。

2022年カタールワールドカップアジア最終予選グループB
9/2日 日本0-1オマーン

ホイルチェア(車いす)バスケットボール男子チームがプロフェッショナルで、
サッカーの代表チームはまるでアマチュア。

工夫がなさすぎるからである。
なでしこジャパンにも共通する課題。

ホイルチェア(車いす)バスケットボール男子チーム、
京谷和幸ヘッドコーチは元プロサッカー選手(JEF市原)である。
ホイルチェア(車いす)バスケットボール男子チームのプレッシングは、
サッカーを観て、経験したからこそ、
でてきたアイディアではなかろうか。
それこそが工夫。

いわれるだけのことしかしない。
それとていわれることができていない。
現状の、
サッカー日本代表チーム。

選手のこころに火をつけるべきヘッドコーチが、
火をつけることができていない。
その火を選手のこころにつけるのは、
プロフェッショナルもアマチュアも、
ヘッドコーチしかできないということなのだろうか。





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ゴール、ゴール、ゴール [サッカーの基礎]

東京オリンピックバスケットボール女子日本チームの活躍は、
なでしこリーグができるまえの女子サッカー、
Jリーグができるまえのサッカーのような、
勃興期の熱気があるようにおもいます。

やがてJリーグはW杯への出場をへていまにいたります。
W杯出場があたりまえになる。
すると関心がもちにくくなる。
TV視聴率が如実に物語ります。
W杯の出場があやぶまれるほうが関心をよぶのかもしれません。

なでしこジャパンもW杯に優勝し、
それ以降世界大会には出場するも、
パッとしません。

バスケットボールもやがてそうなるのだとおもいます。
これから代表チームは強くなるでしょう。
NBAへ移籍する選手もでてきます。
これプロ野球がたどった道ですね。
ではどうすればいいのでしょうか。

おらがチームをつくることではないでしょうか。
特色のあるチーム。
たとえば、
JリーグでJEF市原(JEF千葉の前身)当時は失点が多く、
よわっちいのですが、
得点もおおい。
サッカーは得点シーンにつきますね。
当時はミラクルジェフなんてよんでいました。
2点差があっても、
挽回できる、
っておもっていましたもん、ほんと。

そのスポーツの本義はなにか。
ほとんどが得点したほうが勝ち。
ならば、
もっと得点できるような枠組みをつくりなおすべきだとおもいます。
ゴールをひろげたりするのもアイディアでしょう。

得点したほうが勝つのに、
「守りから入る」なんて、
つまんない考えが横溢しているのが問題なのだとおもいます。
つまんないのはつまんない思考回路にとどまっているから。
そこに気づくべきです。





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バックパスはくせである [サッカーの基礎]

2022年ワールドカップ カタール大会アジア最終予選
10/7 サウジアラビア1-0日本

カタール大会で上位になるためには、
アジア予選でばたばたしてもはじまらない。
予選はむずかしいとか、
W杯は予選にこそある。
いろいろといわれるけれど、
敗退すれば出場はできない。
それだけのこと。

1本のバックパスをさらわれた。
サウジアラビア9番FWフィラス・アル・ブライカン選手はねらっていたのだとおもう。
柴崎岳選手はどんなときにバックパスをだすか。
データがあたまのすみにのこっていたのではないだろうか。

バックパスはくせである。
くせはにたような状況ででるものである。
それを読まれていたのだろう。
にたような状況をつくればよい。
ちかよって縦へのパスコースをふさげばいいのだ。
柴崎岳選手のくせが露見した。

くせはくせだと意識すること。
バックパスするかしないか。
意図をもつ選択にする。
意図のないプレイがくせであるゆえ。
それで質はかわる。
それと同時に、
柴崎岳選手にはプレイの質もかえてもらいたい。
もっともっとミドルシュートをはなつことを使命としてほしい。
壁パスでのワンツーをつかった前進。
ゴールへのパス。
攻撃への強い参加である。

浅野拓磨選手はトラップが課題。
久保建英選手のようにできれば、
鬼に金棒なのに。





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得点王ロナウド・ルイス・ナザリオ・デ・リマ [サッカーの基礎]

2022年ワールドカップ カタール大会アジア最終予選
10/12 日本2-1オーストラリア

カタール本大会にでたければ、
勝つ。
がたがたいわず、
おもいはひとつでいい。

伊東純也選手は得意のドリブルでしかけてはいた。
ただ、すくなくともあと5回はチャレンジできたはずである。
すくなくとも、
である。
伊東純也選手は相手ディフェンスのうしろ、
スペースがあるのにもかかわらず、
スローダウン。
なぜ、行かないのか。
なぜそこでとまってしまうのか。
なぜゴールラインまでつめないのだ。
わたくしはひとり憤った。

なんかいもおなじプレイをくりかえす。
なんかいもくりかえす。
それでもくりかえす。
また、
また、
またくりかえす。
こんな選手はみたことがない。
ならば、みせてあげればいいじゃないか。

W杯日韓大会得点王のロナウド・ルイス・ナザリオ・デ・リマとて、
なんどもおなじプレイをくりかえしていたにすぎない。
そのことをだれもわかっていない。





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采配、そして人事とは [サッカーの基礎]

2022年ワールドカップ カタール大会アジア最終予選
10/12 日本2-1オーストラリア

この試合、
森保一監督の采配に注目したい。
後半の39分。
守田英正選手にかえて柴崎岳選手をいれた。
できれば後半のすべてを柴崎岳選手にあげたかったのではなかろうか。
雪辱の機会である。

ただ事態は逼迫(ひっぱく)していた。
そのなかで、
のこり数分ではある。

柴崎、
挽回してこい。
1点、
獲ってこい。
そういってピッチにおくる。

負けは森保一監督ご自身の更迭につながる。
それとともに、
捲土重来(けんどちょうらい)を期す、
ひとりの選手の将来がかかる。
そんな試合。
ぎりぎりの決断ではなかったか。

森保一監督の判断を、
ご立派。
かけねなし。
わたくしはおもう。

あとは柴崎岳選手の判断しだいである。





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魂をこめる [サッカーの基礎]

「ラモス瑠偉さんを代表チームの監督(男女可)に」 (個人的キャンペーン第1弾)

魂をこめる
カズがいう
ラモスがいう
ゴンがいう
名波がいう

魂をこめる。
魂なんてないさ。
そんなことはしっている。

でも魂はあると信じる人間に魂の有無を問うてみても意味はない。
あるか、ないか、が問題なのではない。

魂をこめます。

カズ三浦知良選手がいう。
ラモス瑠偉選手がいう。
ゴン中山雅史選手がいう。
名波浩選手がいう。

海外でたたかった経験をもつアスリートだけがいう。
強い口調ではっきりという。

だが国内だけの経験しかもたないものは口にしない。
これは偶然ではない。
決して。

一線はここに画される。

魂をこめるとは全力であたることをいうにすぎない。
だがそれだけでは世界では勝てないことをかれらはしっている。
あえて魂をこめる、という。
それは全力であたることであり、もっている力をだしきることである・・・。
いや、

それだけでは足りない。
それだけでは勝てない。
全力を出すのはあたりまえ。
全力を出し切るだけではなく、もっている力いじょうのものを出す。
そしてそれを出し切るのだ。
このイメージ。

あるか、ないかわからない。
けれどあるはずだという確信に近いもの。
それが魂をこめることなのである。

そうしてかれらはおのれを奮いたたせ、勇気づけている。

魂をこめながら。(11.25.03)





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史上最強ドーハ組 [サッカーの基礎]

「ラモス瑠偉さんを代表チームの監督(男女可)に」 (個人的キャンペーン第2弾)

  カズ三浦知良選手のために、ラモス瑠偉選手のために、
  史上最強ドーハ組

ドーハ組は相当に強いチームであったのではないか。

当時、イラク、イラン、サウジアラビア、韓国、日本とも実力は拮抗し、
どのチームが勝っても、負けても不思議ではなかった。
イラクに引き分けたこととて、よくぞ、と褒めていいのである。

あのときのイラクはアジア最強であったかもしれない。

ただ、イラクと引分けたから、ワールドカップへいけなかった。
このことが敗北におもえてしまうのである。

よくぞイラクと引き分けたものだ。

イランに負けたことが結果的に痛手となった。

左サイドバックの故障で層の薄さが誇張されたきらいはあるけれど、
全般としてはザベストチームである。
そうおもう。

いわばラモス瑠偉選手の強烈なリーダーシップと檄、
柱谷哲二選手の声、
カズの決定力、
高木琢也選手の高さ、
汗かきダイナモの北沢豪選手、
ロングフィードの井原正巳選手、
2列目からの飛び出しの福田正博選手、
スーパーサブ中山雅史選手、
とそれぞれの役割をこなしていたのである。

いまの代表はどうだろう。

小野伸二選手の強烈なリーダーシップ、
中田英寿選手の声、
中村俊輔選手の正確な配球、
稲本潤一選手の2列目からの飛び出し、
ドリブルの本山雅志選手、
決定力は、
スーパーサブは、
高さは、
あとはどうだろう。
みんな上手なのだけれど、全般としてザベストチームとはいいがたい。

それは、個とチームのありかたといおうか、
ワンフォーオールの精神が明確であったドーハ組と、
いまひとつわがままなまま、
そこに気がつかず、
どこをどうしていいのか見つからないでただ喘(あえ)ぎつづける、
いまの代表との違いである。

簡単に言えば役割を制御することである。
カズとラモスのために働くのだ、
という明快な論理を、
かれらドーハ組はもっていた。

タカのために、ヤナギのため、ヒデのためにおれは働くのだ、という無私がいまの代表チームには、まったく感じられない。
強いチームの必要十分条件を満たしていないのである。

むかし強かったチームは、いまでも強いのである。
それは、強い理由をもっているからにほかならない。

強い理由は、決して古びたりはしないものである。(9.13.03)





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まだ勝っちゃいないんだぜ [サッカーの基礎]

「ラモス瑠偉さんを代表チームの監督(男女可)に」 (個人的キャンペーン第3弾)

  まだ勝っちゃいないんだぜ
  ラモス瑠偉はいった

末續選手の走りはいままでに見たことがない。

だいいち、ワールドアスレティックスやオリンピックの大舞台で、予選、2次予選とはいえ1位通過。
しかも150㍍をすぎて、左右を確認するところなぞ、ついぞ見たことがない。
驚きとはそういうもので、いつも新鮮である。

ただ、気になるのは、そのあとのレース後のインタビューに見られた余裕?である。
まるで、もう勝ったとばかり。
はしゃぎすぎていたことである。

気持ちは判る。
あまりにも予定どおりなのだろう。
だから、妙におかしくてたまらないのであろう、顔が緩む。

しかし、ほんとうは、ここからが世界、ここからが勝負なのだ。
いわば、かれにとっても、観衆であるわれわれにとっても、ここからは未知の世界だからである。

女性のインタビュアーにおちゃら系のスマイル。
いままで見たことのないことをしているのに、そんなところを微塵も感じさせない。
相当な練習量と綿密な計画がなした自信なのであろう。
うれしい表情は見ていてもうれしくなるものである。

そのとき、
ふうっと、
ドーハでの韓国戦が終わったときのラモス瑠偉の顔がうかびあがってきた。
宿敵韓国にワールドカップ予選ではじめて勝った。
泣きじゃくる同僚をまえにして、ラモス瑠偉はいった。
「まだ、勝っちゃいないんだぜ」。

杞憂であることを祈りたい。(8.28.03)





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