SSブログ
サッカーの基礎 ブログトップ
- | 次の30件

ラモス効果 [サッカーの基礎]

「ラモス瑠偉さんを代表チームの監督(男女可)に」 (個人的キャンペーン第4弾)

  ラモス効果
  たたかう波戸康広選手、増田忠俊選手

柏レイソルがガンバ大阪に勝った。
降格の危機にある下位チームが現状の首位を破る。
フットボールサッカーではしばしば見る光景である。
それだけのことじゃないか。
それなのに、まるで、優勝でもしたかのようにうかれている。
なさけない。

ラモス瑠偉コーチをみよ。
前面にでることをひどく嫌っている。
あたりまえだ。
勝利は選手のものだからだ。

ラモス効果だという。
それはそうだろう。
ラモス瑠偉さんはワールドカップで4位になっている。
4位だぜ、4位。
すでに実績をもっている。
たとえそれがフロックとしても、フロックだけで世界のナンバー4になれるはずがない。

著者がいちばん腹立たしいのは、レイソルの選手諸君のプレーがいままでと違っていた、その1点である。

たしかに波戸康広選手や増田忠俊選手はたたかっていた。
最後列から選手を叱咤する波戸康広選手の雄姿。
その姿こそ柏レイソル、ひいてはニッポン代表に欠けているものである。
ニッポン代表復帰もみえてくるのではなかろうか。
増田忠俊選手はまるでブラジルのエメルソン・フェレイラ・ダ・ロサを彷彿とさせた。
あれこそがボランチなのだ。
プレーの質の変化は、ともすれば増田忠俊選手の選手寿命をもながくさせるのではあるまいか。

が、エース玉田圭司選手が試合後のお立ち台で、
「ラモスがきたから気持ちがはいった。」
なぞとのたまう。
がっかりだ。

ならば、ラモス瑠偉がこなかったら、まえとおなじようなぶざまな試合を繰り返したのか?
著者は問う。
負けるのはエースがたたかっていないからじゃないのか。
勝てないのはエースがゴールをあげてこなかったからじゃないか。
いってみれば、柏レイソルの弱体は玉田圭司選手の責任、それにつきる。

「ラモスコーチがはいってから、かわりましたね?」
報道陣にきかれても、
「そうですか、なにもかわっていませんよ。かわったのはみなさんの見方ではありませんか。」
という。
意地でもそう言う。
それがプロだと著者は信じる。(9.18.05)





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

おれがながれをかえる [サッカーの基礎]

2022年ワールドカップ カタール大会アジア最終予選
11/16 オマーン0-1日本

10/16 ベルギー・ファースト・ディヴィジョンA
ロイヤル・ユニオン・サン・ジロワーズ4-2サラン
三苫薫選手が後半からの出場で3点を獲った。

その映像をみたとき、
オランダ・エールステディヴィジ、
VVVフェンロ在籍時代、
チームが優勝し、
当地のテレビで特別番組がくまれた。
そこで本田圭佑選手は通訳なしで番組にゲスト参加。
英語でうけこたえる。
その姿をみたときとおなじおどろきであった。

オマーン戦。
三苫薫選手がながれをかえた。
みな、くちをそろえる。
わたくしは違和感をいだいている。

あのとき、
ながれをかえようとしていた選手はほかにいなかったのだろうか。
ながれをかえようと奮闘する選手はいなかったのだろうか。
いなかった。
そこがはらだたしい。

ながれをかえるべく、
孤軍奮闘する伊東純也選手を、
援護するために三苫薫選手を起用する。
そうあるべきではないだろうか。
それができていない。

ながれをかえるべき選手のひとり、
長友佑都選手。
代表チームにえらばれるまえの、
がむしゃらなFC東京新人時代のヴィデオをみて、
いちどたちかえってみるべきではないだろうか。
おもいをあらたにするために。





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

みてたのしいのは、やっていてたのしいから [サッカーの基礎]

監督っていうか、
選手13人しかいないから、
うまくまわすことをかんがえてやっています。

サッカーの本義っていうか本質、
不巡さんおっしゃっていたじゃないですか。
得点をおおくとったほうが勝ち。
それだけだって。
なるほど、
そりゃぁそうだと感心しましてね。

脚の速い選手に走りまわってもらおうということです。

そのこに相手陣地の左半分をまかせています。
相手チームのディフェンスをみて、
つねにオフサイドだけならないように意識していったらいい。
かならずゴールへパスしておわらせること。
それが約束です。
そのかわり、
そこのエリアにはいったら、
かれの邪魔はしないこと。
ただ、かれを援けるならばなにしたってかまわない。
アイディアはつねにつたえること。

で、
のこりの選手が相手のボールを獲りにいくんです。
後ろの選手が、
ゴールヘパスしたいのならば、
いちばんまえの選手の邪魔にならないようにまえにいく。
どうぞどうぞ。

それなら、ぼくもできるってんで、
わがチームにはフォワードだらけです。
それぞれが得意なエリアを指定してきますね。
苦手に挑戦する選手もいます。ははは

得点することで、
失点はへったのかなぁ。
超攻撃的っていわれますけど、
そんなこたぁないです。
みていておもしろいサッカーってのは、
プレーする選手がたのしんでいるからなんです、はい。





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

がんばれ、というかんがえ [サッカーの基礎]

がんばれ、
という。
さぁ、もっと、がんばって。

あるひとは、
がんばっているじゃないか、
とおもう。
このうえどうがんばればいいのだ。
しょうじきな感想ではあるまいか。

問題は、
だれが、
どのようにすれば、
どう、
がんばれるのか、
ではなかろうか。
それがすべてはぶかれている。
そこに気づくひとがすくない。

わたくしはスポーツでの応援のしかたに問題があるとかんがえている。
応援とは応援するがわのわがままでしかない。
だらだらと太鼓や笛にあわせ、
おなじことばで声をあわせる。
ときに怒号。
トリッキーなプレイには歓声はあがるけれど、
平凡にみえる、
質の高いプレイには声はあがらない。
一人一人がいうことばはいつもおなじ。
「がんばれ。」

ちびっことサッカーをしている。
みわたすと、がんばるちびっこばかりじゃないか。
とくに攻められるとゴールをさせまいと、
自陣ゴールまえにあつまる。
で、攻撃にかわると、もとの位置にかれはいない。
ディフェンスにおわれ攻撃がおくれる。

がんばりすぎだよ、
と声をかける。
そんなにさがっていては攻撃のときに余計にはしらなくちゃいけないじゃんか。
さがりたいのを辛抱してさ、なかまにまかせてみたらどう?
そういうと数分はがまんできるのだけれど、
いくたびか攻勢をかけられると、
もとの木阿弥(もくあみ)。

がんばれるこはいつもぐったり。
くたびれているのに、
もっとがんばります、
という。
だめだよ。
疲れていちゃがんばれっこないじゃん。
やすむんだよ。
しっかりと。

何点いれられたか。
そんなことは気にしなくていい。
それよりも、
ゴールをきめること。
そこにおもいをはせてほしい。





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

日本2-0中国 壁パスの一種のパックパスがおおすぎる [サッカーの基礎]

2022年ワールドカップ カタール大会アジア最終予選
1/27 日本2-0中国

よくないなぁ。
あしもとへのパス、そこでのトラップの不確かさ。
それと、
中盤で、まえの選手にパスをする。
するとその選手は間髪いれずうしろの選手にパスをする。
壁パスの一種のパックパスといえようか。
この回数がおおいことにきづく。
パスをうける姿勢がまえへいく態勢になっていないからであろう。
そもそも相手をかわそうという意志がないのかもしれない。
わたくしにはそうみえる。
パスをうけて、
そのまま敵ゴールへ邁進するのは久保建英選手(みじかい出場時間ではある)だけ。
残像がまるで糸をひいたようなボールの連動がない。
バタバタしていてチグハグの印象がぬぐえない。
代表チームの試合としては不甲斐ない。

一方、
中国チームも試合前から負けをみとめているかのようにおもえた。
わたくしならば、
日本のディフェンスラインにカウンターアタックの得意な選手を配置。
自陣で攻められてもけっしてさがることはさせず、そのままの位置でいることを我慢させる。
中国チームのセンターバックにボールをとめることに専念させる。
獲ったボールはすみやかに中盤の選手にわたす。
中盤の選手はまようことなく日本チームディフェンスラインうしろのスペースにロングパスさせる。
それをくりかえさせる。
厚い中盤の陣形なぞは、これでくずせる。

サッカーという競技に進化などない。
あるのはそのときの選手の選択肢のおおさ。
そして的確さ。
それが試合をきめるにすぎぬ。





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

経験かならずしも功ならず 対サウジアラビア [サッカーの基礎]

2022年ワールドカップ カタール大会アジア最終予選
2/1 日本2-0サウジアラビア

おいおいまってくれ。
長友佑都選手への毀誉褒貶(きよほうへん)がひどすぎる。
後半23分に交代するまえの縦への攻撃参加は評価しうるけれど、
あの1回きりじゃないか。
最低でも3回はくりひろげなければならない。
が、できていない。

きもちのはいったプレイ、とひとはいう。
きもちのはいったプレイというのは、
じつは、演じることができる。
それにだまされる。
わたくしは不満である。

敵選手への寄せにしても、
半拍おくれているじゃないか。
それは迷いからくるものだとおもう。
かれの培(つちか)ってきた経験がそうさせるのではあるまいか。

将棋のコントで、
先手の棋士が、かんがえにかんがえて、
駒をうごかすことなく、
「負けました。」
さきが読めることを皮肉ったわらいばなしである。

経験はかならずしも功ならず。
おなじような状況にでくわしたとき、
どうするべきか。
判断が半拍はやくなるだけで,
その可能性が増すにすぎない。

次戦先発は中山雄太選手にするべきである。





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

クリアミス(からぶり)の光景 なでしこジャパン [サッカーの基礎]

AFC 女子アジアカップ インド 準決勝
2/4 中国2-2(PK4-3)日本

東京オリンピックのなでしこジャパンは観ているのがつらかった。
この試合はそのようなことはなかった。
あきらかに質はちがっていた。

まず、熊谷紗希選手を攻撃陣にすえるべきである。

延長後半に同点にされたのは、
長谷川唯選手のクリアミスがあったからである。
わたくしはおもいだす。
おなじ光景を。
むかし男子の全日本チームがしばしば犯したミスである。
クリアするだけのボールをからぶりしてしまう。
致命傷であった。

なぜそれが起きるのか。
そうならないための対策をつきつめれば解決もしよう。

なでしこジャパン。
決定機にボールをうかしてしまうというミスをなんべんもくりかえしていた。
つまり、なぜ、ゴ-ルへのパスがういてしまうのか、
その理由がつきつめられていないからである。

蹴りかたに問題があるのか。
それとも芝生になれていなかったのか。
いずれにせよボールの下を蹴るからで、
要因は1つ2つくらいしかないはずである。

精確なキックは正確なトラップがあってこそ。
そこがつたない。
つまり。
基本中の基本がおざなりだということ。

スペースのつかいかたがなっていない。
男子チームのサウジアラビア戦をなぜ参考にしなかったのか。
ボールを遠くとばすための筋力をそなえること。
両サイドをドリブルでしかけること。
ペナルティエリアでの壁パスをつかうこと。

現代のサッカーは情報にまどわされるばかりである。
クリーンシート(無失点といえばいい)とか、
デュエル(1対1といえばいい)とか、
ゾーンディフェンス、マンツーマン。
用語や戦術論がひとりあるきする。
サッカーのルールはかわらないのに。

たたかうのはいまもむかしもひとりのにんげんでしかない。
攻撃のチャンスをうかがうのに、
ことばはひつようではない。
感じれば充分。
その眼をやしなうことのほうが大切なのはいうにおよばない。





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

ゴールへのパス。その巧拙はトラップの巧拙しだいである [サッカーの基礎]

2022年ワールドカップ カタール大会アジア最終予選
3/24 オーストラリア0-2日本

下馬評ではオーストラリアチームの戦力が低下しているという。
わたくしはこの雰囲気、この局面はよろしくないと感じていた。

東京オリンピック準々決勝、対ニュージーランド戦をおもいおこすまでもない。
ラグビーの強いおくにがらか、サッカーも粘り強い。
それをわすれてはいけない。
そうおもっていた。

前半は攻守のきりかえのはげしい、
緊張感のともなった好ゲームであった。
Jリーグがはじまるまえの日本リーグでの試合をおもいだしていた。
まさに、うちあい、である。
ひさしぶりにたのしませてもらった。
これぞサッカー。
ただし、DAZNの実況解説は耳にさわるので、消してみていた。

長友佑都選手はふだんの長友佑都選手にもどっていたようにおもえた。
経験とか、批判はどうのこうの、と、
よけいなことをいわなくてもいいとわたくしはかんがえている。
すべてスルーしていいのである。
むしろそうすべきであるのに。
細君が芸能界にいたせいなのか、
リップサーヴィスよろしく、
そんなところに気をつかうからつかれるのではあるまいか。
若かりしころの映像をたしかめれば充分なはずである。
わすれものをおもいだせばいい。
それだけだ。

浅野拓磨選手はトラップの技術をたしかなものにする。
それだけでロベルト・レヴァンドフスキ級になれるはずだとおもうんだけどなぁ。
かれだけではない。
南野拓実選手とて、トラップの技術をあげるだけで、
いまよりおおくの得点をあげられるとおもうのだがなぁ。

ゴールへのパス。
その巧拙はトラップの巧拙しだいである。
このことに気づくひとはいない。
無念ではある。





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

苦戦の理由、どんなことばをもって試合にのぞんでいるのか [サッカーの基礎]

2022年ワールドカップ カタール大会アジア最終予選
3/29 日本1-1ベトナム

ベトナムチームは、ディフェンスに5人、そのまえの中盤に4人。
均等に整列させる。
ニッポンチームの攻撃に隙(すき)をあたえない陣形で挑んできた。

2009年のコンフェデレーションズ杯準決勝。
スペイン0-2U.S.A.
そのときのことをおもいだしていた。
U.S.A.はディフェンスに4人中盤に4人に2トップのブロックで挑み、
ひとりの退場者がでても勝ちきった。
スペインの国際試合での勝ちは15連勝でとまった。
アメリカはみごとであった。

で、ベトナム戦。
三苫薫選手にはがっかりだ。
ペナルティエリア内でパスをえらんだ。
いちどならず、再三である。
きみはロベルトバッジオか。
残り時間がわずかなときに起用される。
三苫選手はまよわずゴールをめざしていた。
フルタイムになると一変。
かんがえる余裕がないほうがいいなんて。
どんなことばをもって試合にのぞんでいるのか。
そこがおざなりになっているからなのではなかろうか。

久保建英選手にしても、
中日スポーツでラモス瑠偉さんは、
「独りよがりで自滅していた」とおっしゃった。
わたくしは、
久保建英選手にはなにかがたりないのだろう、とかんがえていた。
けれど、かれの試合をみていると、
なにかが過剰なのかもしれない、というふうにおもえてきた。
そのなにか。
それはまだわからないのだけれど。
むしろ基本技術が一定いじょうの選手がそろうチームでこそ、
久保建英選手は活きるのではなかろうか。
だとすれば、
それはいつになるのだろう。


参考
こうして日本は苦戦する
http://www17.plala.or.jp/borisu/fujun_sports.archives04/fujun_sports.4.1.04.html
アジアンカップ2007、苦戦の種をまくのはだれか
http://www17.plala.or.jp/borisu/fujun_sports.archives07/fujun_sports.07.03.07.html




nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

浅野拓磨選手、久保建英選手 [サッカーの基礎]

4/2 ブンデスリーガ第28節
ホッフェンハイム0-2ボーフム
浅野拓磨選手が2ゴール。
いいトラップだ。
おみごとである^^

先回、久保建英選手についてふれた。
久保建英選手はなにかがたりないのではなく、
なにかがあふれんばかりなのではあるまいか、
と書いた。

それは結果への執着であり、
ゴールへのパスをきめるこだわり、なのではなかろうか。
結果をだしたいのだ。

ならば、その意識を活かしてみてはどうだろう。
久保建英選手を最前線に配置する。
つまりはフォワードでの起用である。

久保建英選手のボールタッチ数もおおすぎる。
それは中盤にいるからだ。
FWならタッチ数を減らせるかもしれない。

アルゼンチンのセルヒオ・レオネル・アグエロ・デル・カスティジョ級になるのではなかろうか。
いや、タケはかれアグエロをも超えうるのではあるまいか。
https://fujun-sports.blog.ss-blog.jp/2022-03-30

で、ワールドカップ、
カタール大会の組合せがきまった。
ニッポンのグループEは無風区である。
杉山茂樹さんが、スポルティーバ誌上で、
日本はドイツ、スペインと同組。
「死の組」ではなく「無風区」をどう戦うべきか。
説得力のある論考を書いていらっしゃる。





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

ことばづかい [サッカーの基礎]

ちびっことサッカーをしている。
オジイと呼んでもらっている。
ママさん、パパさん、いもうと君、おとうと君にも、
オジイ、とよんでもらっている。
「オジイコーチ」
と呼ばれたら、
オジイでいいよ、
とあらためてもらう。

そうすることで、ちびっこの反応はちがってくる。
わたくしはそう信じ、うたがわない。

まず、ちびっこのわたくしへのしゃべりかたがちがう。
すると、その内容もちがってくる。
ちびっこがしっていることばのかずはすくないけれど、
かれらはかれらなりのかんがえをおしえてくれる。
それが、とてつもなく、うれしい。

ひとつの発見である。

すさんでいるのはひとのこころではなく、
その「ことば」をつかうひとのつかいかたに、すさみがうまれ、
それに無自覚であるがゆえ、
その無自覚が拡散し、
ほかのひとにつたわっていく。

試合で結果がふるわないとき、
どのようなこえがけがいいのだろう。
思案していると、
ちびっこに、
きょうはしずかだね、
といわれる始末だ。

ちびっこは、よぉく、わたくしのことを観察している。
それが、うれしい。





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

イヴィツァ・オシムさん追悼 [サッカーの基礎]

まず、ことわっておきたい。
メディアはしきりに、
オシムチルドレン
ということばをつかう。
教え子たちといえばすむ。
それとて異論はあるけれど。
薫陶(くんとう)をうけた、
というべきではないだろうか。

だから、
ニッポンはだめなのではないだろうか。
いつになったら、
grown-ups になれるのだろう。

こういうふうに、
ヨコモジ、カタカナことばをつかう。
それは、
いみがぼやける(いみをぼやかしたいのだろうか)、
いみが不確かになる(いみが不確かでいいのだろうか)。

無自覚で、
無反省な、
ニッポンを醸成(じょうせい)していることをわかっていない。
わるい癖でしかない。
わるい癖ならば、
意識してなおしていくべきだとおもう。

無自覚で、
無反省をオシムは問うた。
日本人の中位のメンタリティを、
かれはわれわれに問うた。
ちゅうとはんぱで満足するようにみえる、
そんなニッポンにかれは問うた。
それでいいのか、と。

わたくしはおもう。
その問いに、
いまだニッポンは、
こたえていない。





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

久保建英選手はフォワードでつかうべきである [サッカーの基礎]

キリンチャレンジカップ2022
6/2 日本4-1パラグアイ

三苫薫選手はペナルティエリアでパスしたね。
たしかにシュートコースはゴールキーパーにふさがれていた。
けれど、それでもなおぎりぎりのコースへけっていたら、
状況はかわるかもしれない。
ゴールキーパーがみごとな捕球をするかもしれないし、
ファンブルするかもしれない。
ゴールキーパーが捕球そこねたら、
チャンスはまたうまれる。
つめていたほかの選手にボールはころがるやもしれない。

ゴールキーパーはコースをふさごうとする。
だからゴールをねらう選手に寄っていく。
そうしてゴールをせばめるのだ。
ならば、ゴールキーパーをスルッとよければいいだけじゃないか。

W杯日韓大会得点王のロナウド・ルイス・ナザリオ・デ・リマは、
ペナルティーエリアではシューターは守られているのだ、
有利なのだ、という。
なるほどゴールへパスをしようとする選手をじゃましたときは、
ペナルティキックがまっている。

久保建英選手はフォワードでつかうべきである。
そのわけは、
https://fujun-sports.blog.ss-blog.jp/2022-04-03
前田大然選手はトラップをしっかり、
もっともっと上手になるべきである。
それが決定力をあげてくれるはずで、
いわゆる槍タイプの選手はあしもとが不得手すぎるからだ。

6/1 CONMEBOL-UEFA Cup of Champions フィナリッシマ
イタリア0-3アルゼンチン
メッシが躍動していた。
かれはことしパリ・サンジェルマンで6得点、
チャンピオンズリーグで5得点あげている。
パリのファンは不満たらたらであるそうな。
この試合、
メッシはフリーマンである。
で、
メッシにボールがまわりそうになる。
するとまわりの攻撃が好きな選手はいっせいに散らばっていく。
メッシはボールを敵に奪われることがすくない。
フォローもしやすい。
メッシはやりたい放題だ。
調子もじょうじょう。
アルゼンチンは強いぞ、
と感じた。

いっぽう、
ケガがおおいとはいえ、
イタリアはあいかわらず、
あたまでっかちで迷ってばかり。
ワールドカップ出場を逃したのはあたりまえにおもえた。
サッカーを分析しすぎで、
全体を見られていない。
混乱しているだけ。
そこにだれも気づいていない。
そんなふうにおもえてならない。
観ていてつまらないのだから、
実際にやっている選手諸君はもっとつまらないのではあるまいか。

6/2 韓国1-5ブラジル
おとなり韓国ではブラジルがにくたらしいほどの攻撃をみせていた。
ブラジルも強いな、
と感じた。

6/3 UEFA ネーションズリーグ 2022-2023
グループ4 ベルギー対オランダ
さてヨーロッパはどうだろうか。
たのしみである。





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

高校サッカーがつまらない理由 [サッカーの基礎]

いっこうに改まらない、
改めようとしないのはなぜなのでしょうか。
改める必要がないのでしょうか。
おとなにまかせるからダメなんだ。
たて、高校生諸君、元高校生のみなさん。
http://www17.plala.or.jp/borisu/fujun_sports.archives07/fujun_sports.01.04.07.html
nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

イヴィツァ・オシムのサッカーとはなんであったのか [サッカーの基礎]

イヴィツァ・オシムのサッカーとはなんであったのか
https://ameblo.jp/hosonofujun/entry-12749388530.html
nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

スポーツを科学する 言語化、数値化すべきもの [サッカーの基礎]

スポーツを科学する 言語化、数値化すべきもの
https://fujunsports.exblog.jp/31853179/
nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

名もなきJEFファン イヴィツァ・オシムのサッカーとはなんであったのか [サッカーの基礎]

名もなきJEFファン イヴィツァ・オシムのサッカーとはなんであったのか
https://ameblo.jp/hosonofujun/entry-12749678883.html
nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

選手ありき イヴィツァ・オシムのサッカーとはなんであったのか [サッカーの基礎]

選手ありき イヴィツァ・オシムのサッカーとはなんであったのか
https://ameblo.jp/hosonofujun/entry-12750003028.html
nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

どならない [サッカーの基礎]

どならない。
肝に銘じてほしい。

どなってはいけない、のではなく、どならない。
どなったりしてしまうことがないように、というのではなく。
どならない。
どういえばいいのだろう。
どなる必要がない。
どなられるほうにだって、どなられる必要なんかないんだ。

なぜ、どなるのか。
考えてみたことがあるだろうか。

それは、どなるひとばかりを見てきたから。
大声が小声を制すると、おもいこんで疑わないから。

そんなひとがたくさんいるということなのだとおもう。

スポーツに、どなるという行為は不要。
そもそも必要がないはずのもの。
なのに、あちらでも、こちらでも、どなるのは、
どなったときに効果がある、とおもわれているからにすぎない。
nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

なぜ、どなるのか [サッカーの基礎]

映画「ルーキーズ」をみた。
主人公の高校生がまるでチンピラであった。

ニッポンはチンピラの描写はこのうえなくうまい。
身近にたくさんの例をみるからであろう。
アメリカ映画で拳銃をつかう描写に迫真が多いのと理由はおなじではなかろうか。

生徒も教師もどなってばかり。
うまくいかないとどなり、きにいらないとどなる。
そんな生徒諸君をおさえようと、教師の語気は一段と強くなる。

強気が弱気を制してばかり。
なぜ大きな声でいわねばならぬのか。
大きな声でなければ伝わらないのか。
伝えたいことって?
なぜ、どなり、どなられなければならないのか。

「スポーツ」には、どなり、は不要である。

「スポーツ」とは?
連想してみよう。
カラフル。
みかけはいいけれど、ちゃらちゃらしてるって感じかな。
笑顔。
楽しい。
どこか軽く、真剣さに欠ける印象はあるのだろうな。
あくまで自主的。
MLBも、NBLも、NHLも、NFLも、プレミアシップも、すべて、「スポーツ」なのである。
 
「体育」とは?
なんだろう。
白。
挨拶。
試合中はもちろん練習中は歯はみせない。
階段をうさぎとび。
練習中は水を飲まない。
合図で一斉に集合。
先輩、後輩。
連帯責任。
規律。

「スポーツ」は競技じたいに関心がむいている。
一方、「体育」は、競技じたいよりもその周辺に目がいく。
手続きこそ「体育」の眼目なのか。

作中、生徒諸君の髪型がそれぞれなのはいい。
坊主頭がひとりとしていない。
作者はそこにとらわれていない。
青春映画としてはおもしろい。

ただ、
どなり、どなられる。
その描写を見慣れ、
感覚が麻痺した、
無反省なニッポンの風土に、
嫌悪感はつのるばかりであった。
ちびっこには見せたくない。
本音である。
nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

なぜ負けるのか [サッカーの基礎]

なぜ負けるのか

サッカーの試合、
勝負がわかれる。
勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし。

なぜ負けたのか。
その不思議について、
精査しているのだろうか。
はなはだ疑問である。

JEF千葉の試合をみても、
きのうの4/26
AFC U23 アジアンカップ カタール 2024
準々決勝 日本4-2カタール
をみていても、
結局はおなじ感想しかうかばない。

空き(スペース)のつかいかたがままならない。
それと捕球(トラップ)のつたなさ。
このふたつである。

監督が防御への意識がつよい場合、
攻撃への機転がききにくい。
雑感として感じていることである。

円陣をくむニッポンチームを俯瞰した映像をみていると、
こんなに頭数があるのに、
みんなおなじようなかんがえしかもちあわせていないのだろうな、
と、
茶番にすらおもえた。


nice!(0) 

ゴールへのパスなのだ ジーコをおもいだせ [サッカーの基礎]

つねづねおもうことである。

なぜ、
シュートとパスをわけたのか。

ことばと動作、
それぞれに。

なぜちがう動きかのごとく扱ったのか。
それが解せない。

シュートとは、
つまりはゴールへのパスでしかない。
それをシュートといわしめるからまちがえる。
まちがったまま放置されている。

シュートというとくべつな動作なのではなく、
それは、
パスでしかない。

シュート練習にいそしむのではなく、
パスする方向をゴールに向けるだけのことでしかない。
そこにはゴールキーパーがいる。

ゴ-ルへのパス。

そうおしえてくれたのは、
アルトゥール アントゥネス コインブラ

データやシステム重視という、
奇妙な悪習におちいりがちなニッポンのサッカーに、
競技自体のシンプルさをかたるかのように、
そうじゃないのだよ、
と諭すように、
平明なことばで説いていた、
ジーコをおもいおこしてほしい。
nice!(0) 
- | 次の30件 サッカーの基礎 ブログトップ