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わたくしは想像する [ことば]

昨今、
えたいがしれないウイルスの恐怖が日本中、
世界中をおおっている。
テレビはどこもかしこも騒騒しい。
つまらない。
だからニュースくらいしか聞かないし、
見ない。
いつものことだね。

WEBのほうがおもしろい。
ラジオのほうがまだましだ。
地上波の使命はおわったのだろうか。

で、ふと、わたくしはおもうのだけれど、
もし堀江貴文さんが、
あのときフジテレビの経営にかかわっていたら、
と勝手に想像する。
こんなことにはならなかったのではあるまいか。

堀江さんが放送局を先導するかもしれない。
すこしの変化がはじまるだろう。
すると、ほかの放送局はすこしの変化を追従せざるをえなくなるだろう。

いまよりはまだましになっていたのではなかろうか、と想像する。
いまの陳腐さは、そのすがたをかえていたのではないだろうか、と想像する。
そのチャンスをのがしたのである。
それだけははっきりといえるのではなかろうか、と想像する。



いまさらだけれども、キリンジのエイリアンという歌はいいね。
ナカムラエミさんの東京タワーもいい。





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官僚の失敗、公務員による災厄 [ことば]

ニッポンの惨事はことごとく官僚の失敗が原因である。
公務員による災厄。
人災だということである。

日中戦争、太平洋戦争は軍事官僚の独断であり、広島、長崎への原子爆弾攻撃も、東京大空襲も、真珠湾への奇襲がなければなかったのかもしれない。

官僚の失敗を止めることができるのは、唯一、政治家である。
その政治家が元官僚である場合、どうなるのだろうか。

ニッポンの学校は、国家公務員上級試験合格を最終の目標にすえた体系でしかない。
あたまのいいひとは、国家上級試験をめざし、国家公務員になる。
そのかれらがニッポンをぎゅうじっていく。

それぞれの省庁課長級が政策の発端をになう。
ヨコモジがたくさんつかわれるのは、かれらがつくる政策案にカタカナがつかわれるからにほかならない。

新型コロナウイルス禍。
官僚はまた失敗しつづけるだろう。
かれらはおもう。
失敗するはずがない、と。
優秀なのだから、と。
が、ことあるごとかれらに共通の欠落がみえかくれする。
それは公僕とはなにか、という公務員のイロハのイである。

判断なのだ。
救世主とは神がかりだからもとめてはいけないし、いらない。
反動がおおきすぎる。
それよりも、
ふつうのおっかさんのようなおばさま、
すくなくとも口臭にはきをつかうおっさんのような、
どなることをしない政治家たちが困難にたちむかう、
その姿を応援したい。





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寛容とは、みとめることである [ことば]

寛容とはゆるすことだとおもわれがちだ。
が、そうではない。
みとめることである。
許容。
しょうがないな、
といって肩をたたいてあげることである。

国会議員が風俗店にいっていた。
それがバレた。
おとなたちのとるべき手段は、
その青年に、
ばかなことをしたな、
といって、肩をたたくことではなかったか。
そこでなにも感じない青年ならば、絶交するがいい。

舌禍がもとでぼろくそにさげすまれている議員さんにつたえたい。
いまこそあなたたちの能力をフルに稼働して、この難局にあたってもらいたい。
ただしい判断が最善ではある。
けれど、新型コロナウイルス禍においてははやさがもとめられている。
あなたが信頼できるひとの見識を参考に、
すみやかな判断(ただしいか否かはいまはわかりっこない。)こそが先頭にたつものの責務。
政策で勝負。
敗者は復活する。
おとなたちは逡巡するばかり。
しかもあたまがカチコチで動きがおそい。
そこをあなたたちの力で乗り越えてもらいたい。

官僚の、公務員の失敗とは先回書いた。
最近観た映画に公僕のありかたの参考になるものがある。
シンゴジラ庵野秀明監督作品である。
長谷川博己さん演じるところの内閣官房副長官。
官僚、公務員の失敗をよく歴史に学んでいる。
なによりも、しなやかでユーモアがある。
あたらしい官僚、公務員像ではなかろうか、とおもうのだけれど。

ニッポンのヒーローはいつも官制で、
アメリカのヒーローはいつも民間人で、
とおっしゃった勝間和代さんのことばがあたまからはなれません。





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しあわせは、めのまえに、ころがっています。 [ことば]

 しあわせになりたい。
 しあわせになってどうするの。
 しあわせになったことないくせに。

 しあわせをさがす、という。
 しあわせはどこかにあるはずだもの。
 うちらの、手の、とどかないところに。

 しあわせをさがすから、ふしあわせになる。

 しあわせはさがすものぢぁないさぁ。
 しあわせは、きづくもの、だね。

 しあわせは、ほら
 めのまえに、ころがっています。



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一年生になったら [ことば]

 駅前通りにはいつも音楽がながれている。
 童謡である。
 歳時記のように、時季おりおりの歌がながれる。

 そのなかでただ一曲、気にいらない歌がある。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだち百人できるかな。

 おとなは嘘をおしえる。
 いや、嘘をそのままうのみさせる。

 百人のともだち。
 それがそもそも可能なことなのだろうか。
 たとえ百人できたとて、それが素晴しいことなのであろうか。

 わたくしはそうはおもわない。

 ともだちは、百人もできないし、
 ともだちは、百人もいらない。
 そもそも、ともだちは数を問う性質のものではない。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだち百人できるかな。

 ことしもどこかで歌われるのだろう。
 なにもしらぬまま、子供たちはおとなにおしえられ、おしえられるまま子供は歌う。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだち百人できるかな。

 一年生諸君。
 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだちはなかなかできないかもしれないけれど、
 ともだちになってもらうように努力してみてはどうだろう。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 ともだちが悲しんでいたら、
 そうっとそばに寄りそってあげてみたらどうだろう。

 一年生になったら、
 一年生になったら、
 きみとともだちになりたがっている子がいたら、
 その子と握手でもしてみるといい。
 にこっと笑ってみるのもいいかもな。
 ともだちができなくって悩んでいたときのきみ自身のことを、
 おもいだしてみるのもいいだろう。



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