SSブログ

たわけるテレビ、これがニッポンのテレビの実際 [ことば]

癒し。
無反省につかわれてはいまいか。
それでも最近は食傷気味とみうける。

精神を語る番組のはずなのに、
なぜそこに先祖だとか心霊だとか魂、
はては前世というわけのわからない言葉がポンポンと出てくるのか。
精神を語ることと霊魂について語ることとはそもそも次元がちがう。
まじわることのない事柄なのに、
それでは味噌も糞もいっしょじゃないか。

視聴率という色でしか見ないから糞と味噌の違いがわからない。
臭いを嗅げばだれだってわかることなのに。
放送業界とはそんなに節操がなくなるものなのか。

スピリチュアルという、わけのわからない外来語を使い、そこで、
「あなたの前世はたぬき。」
語られることの奇異。
とんちんかん。
実際にかわされていることはスピリチュアルどころか、
なんのことはない、
単なるオカルトであったりする。
たちの悪いショーである。
それをゴールデンタイムに放送する。
番組を見るほうの責任、番組を作るほうの責任。
折半なのか。

精神を語ることは、
教祖が先祖や霊魂をさらすことでも、
過去現在将来について、無責任に一方的にまくしたてることではない。
大晦日、NHKの紅白歌合戦という宴の後、ニッポン各地の寺社からの中継、
その静謐にこそある。

電波にのせて公にする。
もうよせ、そんな愚は。
占いを、部屋での問答に帰すべきである。

放送会社は視聴率という虚数のみを追う。
だからなにも考えていない、と、揶揄される。
無関心でいられるのは、多額の広告費にあぐらがかけるからである。
大量の株を買われ、足元をゆすられた挙句のすったもんだ。
それとてのどもと過ぎれば熱さなぞ忘れちまう。
その反応はまさに神速。

いま世界は安全か。
いまアメリカは安全か。
われわれの家族は安全か。
アメリカのABC放送が作ったニュースの価値基準。

猟奇的な事件はないか。
おいしいものはないか。
癒しのネタはないか。
これがニッポンのテレビの実際である。(2005年の再録)





nice!(0) 
共通テーマ:テレビ

負けっぷりが悪いぞ、横浜DeNAベイスターズ [スポーツ]

横浜DeNAベイスターズ。
優勝の可能性がないという。

わたくしは支援者ではないからだまっていればいいのかもしれない。
けれど。
応援をばかにしないほうがいい。
負けつづける。
それでも応援してくれるひとはいるだろう。
それでいいのか。
スポーツを、とりわけ野球をコンテンツ商売といいきったのはだれか。

まず投手陣。
野球はいちに投手、にに投手、さんに投手。
9回を投げられなければ、8回。
8回を投げられないのなら7回。
7回を投げられなければ6回。
6回を投げられなければ5回。
5回を投げられなければ4回だってOK。
4回を投げられなければ3回。
3回を投げられなければ2回
2回を投げられなければ、
1回づつでもいい、9人で投げわける。
1/3しかもたぬならば、それにふさわしい投手陣を確保する。
それでいいじゃないか。
投手陣がひきしまれば、勝負にはなる。

投げられないことをなげくのではなく、
投げられたことを評価していく。

危機は好機になりうるかもしれない、
ゆいいつの、
絶好の機会にちがいないのだから。





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ

路面電車の延伸、そして復活を [ことば]

水の低きに就くが如しという。
水は低いほうにながれる。

排水処理をきわめようが、結局、水は低いほうへながれる。
いかなる手段を講じようが、自然はひとをいともたやすくはねのける。
われわれは知ったはずだ。
自然はあっさりと人智を超えることを。

治水、
などという、
うぬぼれたことばをつかうからではなかろうか。
むしろ治水はできないとかんねんするべきである。
利水とすべきではなかろうか。
そのまえに、まずこの驕りに気づくべきである。

電力をつかわず自然のちからで水をながせるのであればそれを優先すればいい。
先達のアイディアを研究、拝借すればことたりる。
対策はすでにある。

地下の鉄道を延伸することはすぐやめて、
路面電車にとってかわるべきである。
そもそも地下をほりつづける経費は無駄である。
道路に鉄道をつければすむだけじゃないか。

交通の邪魔になるという。
邪魔はむしろ路面電車を邪魔だという、ひとのかんがえかたではなかろうか。





nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

うまい騎手とは [競馬]

シャフリヤール。
第88回東京優駿(日本ダービー)がおわったばかりである。
馬がつよかった。

Number(ナンバー)1027号で
日本ダービー直前 ウマい騎手ってなんだ?
わたくしはおもう。

ニッポンの競馬は馬込をきらう。
つねにばらける。
だから不利のないつよい馬が勝つ。
そとに出し、直線で抜く。
それでいいのではないかという。
では、騎手はなんのためにいるのだろう。

だから世界で勝てないのではなかろうか。
馬込をつくり、そこから追出す。
その経験値をふやすこと。
それが騎手のみならず、競走馬もつよくなる可能性をもつ。
ひつようなのは根性ではない。
経験であり、騎乗数である。

世界にでなくても中央競馬会にいれば、それなりの待遇をうける。
でていくひつようはない。
が、岡部幸雄さんや武豊騎手はなぜ世界へでていったのだろうか。
たりなさをしるからではないのか。

馬込をきらわず、まわりをかこまれてもなお辞さず。
馬にしるべをあたえ、昂然(こうぜん)とゴールをめざす。
しなやかで、しかも屈強な剛腕をそなえ冷静な判断ができる。
1986年第3回ブリーダーズカップターフで優勝したマニラ。
そのときの鞍上ホセ・サントス。
2014年ドバイシーマクラシックで優勝したジェンティルドンナ。
鞍上はライアン・ムーア。
馬のちからと騎手のちからがともになければ勝てなかった。
騎手の醍醐味。
これこそが競馬ではあるまいか。





nice!(0) 
共通テーマ:スポーツ