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教科書、最後の頁までならいましたか [ことば]

高等学校にかよっていたころ、文系なのに化学Ⅱを選択せざるをえなかった。
これはあきらかに高等学校の無配慮である。
で、教科書。
ほとんどの科目で最後のページまでたどりつくことはなかった。
英語なぞは1年生から3年生まで、1/3でおしまいではなかったか。
これは教諭の怠慢ですむ問題なのか。
それとも教科書をつくる出版社の問題なのか。
全般を指揮指導する文部科学省の問題なのか。
それを問題にしてこない受講生であるおおくの卒業生が無関心であるからなのか。

わたくしはおもう。
すべてが理由である、と。
なかでも教諭の技術のなさ、意識の低さには着目せずにはいられない。(あくまでもわたくしが目にしてきた教諭のほとんど)
なにをおしえ、なにを学んでほしいのか。
教諭免許という資格ばかりが優先し、それをクリアすることだけ念頭におかれているからではなかろうか。
ニッポンの試験、資格とはそういうもので、合格以降の研鑽には執着しない。
採ってしまえばおしまいということになる。

教員に再教育を求める動き。
それはとうぜんである。
が、なにを再教育し、確認するのか。
それよりも大切なのはかれらにもっと余裕をあたえてあげなければならないのではなかろうか。
煩事がおおすぎる。
悲鳴はあがる。
そんな職にだれが夢を描こうか。

わたくしはおもう。
医者こそ、再教育せねばならない。
医療は日進月歩。
医師はそれに対応しきれているのか。
とくに年長の医者。
資格にまもられて、はく奪されるべき医者がほとんどいないのはどういうわけか。
運転免許よろしく、資格の返上を声高にもとめるべきではないのか。
それがままならない。
それがニッポン。
国家試験、国家資格があしかせになっていることにきづいていない。







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