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制度は疲労する [ことば]

どうして歳(とし)にこだわるのだろう。
太陽を周回しているにすぎないのに。
60歳といわず、
60回といえばいい。

儒教は年長者をうやまえとおしえた。
さきにうまれたものが優位だというのである。
が、いばりくさっていると、
やっつけられる。
下克上。
これこそが、
さむらいの本性である。
さむらいはなくなったが、
この気質は日本人のこころのすみにいまもある。

この4月、
18歳を成人にするという。
勝手なものである。
飲酒、喫煙、馬券を買う公営競技は駄目らしい。
20歳の現行の年齢制限のままだという。
わかものたちよ、
なぜおこらないのか。
勝手なことをいうな、と。
示威があってしかるべきではなかろうか。

成人をもうけるならば、
成人済ももうけるべきではないか。
70歳で成人済として、
普通運転免許証の資格は自然消滅。
それ以上の年齢は運転できなくなる。
今年度からは、
その年齢が72歳になる。
これとかわりない。

制度とはつまり、
勝手にきめることをいう。
だから制度はいい加減にならざるをえない。

完全な制度なぞありえない。
せいぜいで、
まっとうな制度をつくることか。
では、
まっとうとはなにをいうのだろうか。

制度はひとが歳をとるのとおなじく歳をとる。
制度は疲労する。
ひとは疲労するからである。

こまったことに、
ひとは制度をつくりたがる。
制度などすくないにこしたことはないのに。
制度があしもとをすくうおそれはつねにある。
災害時、
それがあらわになる。
いちどつくるとつくりかえることがむずかしい。
これも制度の特徴であり弊害ではないか。

そこで提言。
制度ではなく、
約束を意味あるものに体現してはどうだろう。





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